平成24年 3月
2018年05月09日
平成24年3月31日(土)
平成23年度も終了。明日からはそれぞれの職場でも新入職員、異動職員が新人、ベテランの分けもなく市民と接することとなる。
議員もオールマイティーだが、職員はそれに比にならないならないくらい広く深くの知識が必要なので大変だ。しかしながら、やはり様々な部署を経験しなければ仕事は務まらないし、定年後もその知識を生かして第二の人生を歩むことも可能と考える。
平成24年3月30日(金)
本日は「けやき」で開催された定年退職者辞令交付式に出席。1年間お世話になった篠原議会事務局長をはじめ、各所管でお世話になった退職者、普通退職者らを労う。
議会に戻り、篠原事務局長を送る会にて挨拶。いろいろと波乱のあった議会において、事務局職員を引っ張っていただいた篠原局長には感謝の気持ちがいっぱいである。これから新しい道に進むと決心した局長に、エールを送る。本当に短い期間かもしれないが、いろいろとお世話になりました。ありがとうございました。
平成24年3月29日(木)
政務調査費の収支簿の作成などを行った。
平成24年3月28日(水)
オークションで落札したバイクの外装部品一式を取りに千葉まで取りに行く。本日は家内も仕事が休みなので久しぶりにドライブ気分。余りにもガサばる物であり配送費だけで万単位になりそうだったので、トランクを空にして出品者宅に行く。
出品者は一軒家を自宅とは別に持っており、手作りの暖炉等の改装もご自身で行うアウトドア派の方だった。バイクやそれ以外の話も弾み、長年の友達のように接することができた。件の落札物は車のトランクだけでなく、後部席にも押し込んでようやく積み作業は終了。
続いて、家内が予てより行きたがっていた「市原そうの国」へ。ぞうに乗るイベントは既に終了していたが、餌やり等でぞうに触ることができたと家内は大喜び。数日前に映画「星になった少年」のモデルとなった坂本哲夢君を扱った番組を見たせいもあり、喜びはひとしおだったに違いない。夕方となり、都内の渋滞を回避して湾岸線にて帰宅した。
平成24年3月27日(火)
母が喜寿を迎えた。昨年は夫の死去に続いて、兄弟のうちの兄と姉を亡くした。兄は中央大学の学徒出陣にて海軍に入隊。百里基地で特攻要員として訓練し、出撃間近に敗戦となったと聞いた。基地から帰宅後も暫くは一升瓶を操縦桿に仕立て、夜空をずっと眺めていたとも聞いた。姉は3人の子どもが生まれて直ぐに夫が病死し、幼子3人を抱え夫の父母の面倒を見ながらコロッケ屋等を経営したり、とても頑張ってこられた。母も「ねえちゃん」と親しく呼び、秦野なのでいつも話し相手、相談相手でもあり、父以上にその死はショックだったようだ。 これといって喜寿の祝いもしてやれずに過ぎた一日であったが、近々希望を聞いてみようと思う。
平成24年3月26日(月)
先日亡くなった川久保元小田原市議会議長の葬儀において弔辞。市役所内で開催されていた防災会議には遅れて出席した。
分厚い防災計画書案について、所管よりの説明が行われていた。質疑に移り、一点質疑した。
質問「津波警報についてはサイレンを鳴らすとなっているが、どのようなサイレンか。それは他のサイレンと区別できるのか?」
答弁「計画書にあるような断続音により、ほかのサイレンとは区別できるようにしている」
質問「住民や海近くにいる人が、断続的な音は津波サイレンだと認識できればよいが、どのようなサイレンが津波警報だと普段から認識させなければわからない。そこで、市のHPにて津波警報のサイレン音をいつでも聞けるような工夫は出来ないものか?」
答弁「工夫していきたい」
との答弁をもらった。HPへのアップを期待したい。
平成24年3月25日(日)
交通安全協会橘北支部総会に出席した。
平成24年3月24日(土)
橘北地区戦没者慰霊祭に出席。式典途中に雨が降り出し、強くなった。追悼の言葉も省略された。夜は橘北地区自治会連合会の総会に出席した。
平成24年3月23日(金)
本会議最終日。午後からは議員説明会が開催された。
平成24年3月22日(木)
予算特別委員会委員長報告書の検討が行われた。その後1件のアポ。
平成24年3月21日(水)
地元の下中小学校の卒業式に出席。午後からは代表者会議、議会運営委員会が行われた。夜は自民党幹事会に出席。
平成24年3月20日(火)
特記事項無し。
平成24年3月19日(月)
議運打ち合わせ。予算特別委員会の総括質問が行われた。
平成24年3月18日(日)
特記事項無し。
平成24年3月17日(土)
久野において植林を行う予定であったが、雨のため中止の連絡があった。
平成24年3月16日(金)
地元の下中幼稚園の卒園式に出席。その後議会にて定例会追加議案説明及び打ち合わせを行った。夕方一件のアポ。
平成24年3月15日(木)
国際医療福祉大学学位授与式に出席した。卒業生の中の一人の発言に感動。父から譲り受けたタクシー会社を運営したのだが、昨今、運転手の肉体的精神的疲労は想像以上であり、会社運営に医学的見地から取り組む必要性を感じて入学したという。向学心溢れた卒業生はきっと事業者としても互いの気持ちをくみ取りながら良き経営者になると確信した。
平成24年3月14日(水)
予算特別委員会に出席。
平成24年3月13日(火)
予算特別委員会に出席。
平成24年3月12日(月)
朝から所管の説明。一件のアポイントの後予算特別委員会に出席。代表者懇談会を開催した。
平成24年3月11日(日)
尊徳マラソン開会式に出席。今日は斑鳩町からも数人の参加があり、その中には先日会った伴議員も参加されていた。
スタートを見届けた後に、副議長とともに本日東日本大震災1周年行事として駒角駐屯地の自衛隊が実施した行進訓練への激励のため大井町役場に向かった。
あの未曽有の災害から1年が経過した。各テレビでも特集を組み、あの津波の恐怖が蘇ってきた。海に面するどの自治体も、新たな津波対策の必要性を感じ、既成の防災計画の見直しが図られている。
平成24年3月10日(土)
特記なし。忌まわしい東京大空襲から66年が経過した。
平成24年3月9日(金)
中学校卒業式。午後からは観光協会総務委員会に出席。
平成24年3月8日(木)
予算特別委員会に出席。夜には防犯指導員協議会懇親会に出席。
平成24年3月7日(水)
予算特別委員会に出席。アポ
平成24年3月6日(火)
予算特別委員会に出席。
平成24年3月5日(月)
予算特別委員会が再開された。
平成24年3月4日(日)
父の一周忌法要を営む。父は東日本大震災の4日前に亡くなった。それから1年。アッという間の1年であるが、時折夢に出てくる。入院していた父が意識を戻して一緒に食事している夢を見た。病室で会話していたことを父は聞こえていたのか尋ねたが、云々と頷くだけであった。自分の頭の中では未だ健康な父の姿が焼き付いているに違いない。
平成24年3月3日(土)
特記なし。
平成24年3月2日(金)
会派代表質問の最終日。本日は2会派の質問。その後、予算特別委員会
平成24年3月1日(木)
議会運営委員会の正副打ち合わせ。
昨日に続いて会派代表質問に3会派が質問を行う。終了後、議会運営委員会。