平成26年 11月
2018年05月09日
平成26年11月29日(土)~30日(日)
特記無し。一般質問原稿づくりに専念しつつ選挙準備。
平成26年11月28日(金)
一般質問締め切り。通告内容は下記の通り。
1.国道1号親木橋~西湘バイパス橘インター間の渋滞解消策について
(1)渋滞の実態について
(2)民主党政権下で実施された高速道路の無料化社会実験結果について
(3)渋滞解消策について
2.国府津駅前整備について
(1)整備計画について
(2)有料自転車駐車場整備について
3.認定こども園について
(1)橘地域における認定こども園の可能性について
(2)少子化に伴う公立幼稚園統廃合について
平成26年11月27日(木)
12月定例会初日。明日の質問締め切りに向けて項目等の確認作業を行った。
平成26年11月26日(水)
議会改革検討委員会を開催した。次回はいよいよ一次答申を議長あてに出せる状況とするため、協議した。
平成26年11月25日(火)
特記無し。
平成26年11月24日(月)
振替休日。午前中は南足柄市にて市議選立候補予定者が来訪。すでに選管に政治団体登録や他準備も大方されているようなのでアドバイスするようなことは無く、わざわざ見えられたのだが雑談だったかもしれなく、申し訳ない。お互い頑張りしましょう。
平成26年11月23日(日)
既に衆院が解散し、選挙準備に入っている。本日、初の選対会議が開かれた事より、これからの記述は選挙絡みの内容となる部分は省かざるを得ない状況だ。当然あと数日で12月定例議会も開かれ、一般質問の予定もしている。街頭演説、遊説、会議など、具体的活動を記載しないこともご承知ください。
平成26年11月22日(土)
看板設置を依頼している友人より、本日看板を取り付けてくれると言う。ただ、現在看板を預かってくれている友人が留守で鍵が締まっているらしいとのことから、奥さんに連絡をして看板を出してもらった。場所は幹線道路沿いでありよく目立つ場所だ。代議士、県議、そして自分の看板3枚を同時に設置した。面白いことにそれぞれ赤、青、白と色違いでもあり、それがよく目立つ。
平成26年11月21日(金)
衆議院が解散した。暮れの選挙はつい2年前に経験した事であり、その時は自民党大勝利となったことから当然4年間は政権維持をしながら、様々な問題に立ち向かっていくに違いないとは素人考えだったようである。本選挙を自ら「アベノミクス選挙」と位置付けても、野党は相変わらず勝手に○○選挙と揶揄している。
この2年間、特に民主党は捲土重来を期して一つにまとまっているのかも疑問である。離合集散してきた他の党も、一党支配体制を批判するのは自民党にではなく、それをさせた自分たちに責任がある事を言わなければ有権者は理解しないのではないか?決して勝手に自民党だけが勝ちたいと言っても有権者からの票をもらわなければ政権にもつけない訳だから。
そもそも私が政治の世界に入ったのは昭和58年暮れの選挙がきっかけである。解散から投開票日が短い選挙戦となりそうだ。
平成26年11月20(木)
恒例となっている商工会議所正副会と及び部会長と議会正副議長及び常任委員会正副委員長との懇談会が開かれた。前回の懇談会ではお城通り再開発地の駐車場建設に絡んだ話が多かったが、今回は先日オープンとなった地下街についての話題が主であった。今回は出席者全員が言葉を発することができたかもしれない。それはそれでよかった。
平成26年11月19日(水)
午前中は友人の写真館にて4年に一回の写真撮影。今回はついでという事でコスプレ写真も同時に撮ってもらうためにその器材や衣装を持ち込んだ。スーツでの撮影終了後、着替えをして数枚撮影してもらう。いささかこの欄で公表する訳にもいかず、自分の密かな趣味(決して公序良俗を侵すものでは無いです)としてしまっておこう。
平成26年11月18日(火)
午前中は厚木の神子議員と待ち合わせ情報交換。午後からは産業勤労者表彰式典に出席した。表彰式開始前に副議長から高倉健さん死去の報を聞いた。テレビでは衆議院解散決定の報道と健さん死去の報道が入り乱れている。衆院解散の話はまた正式決定の時に話題とするので、今日は健さんに関しての話をする。
自分の高校生の時の憧れのスターは高倉健と鶴田浩二だった。高校一年の時に観た映画「八甲田山」での徳島大尉役は北大路欣也の神田大尉役と共に正にはまり役であった。軍人としての覚悟、強さ、切なさを演じた両人の虜になり、またその時期は色々な映画にも出演しており、それを鑑賞するのが楽しみでもあった。テレビ神奈川では火曜日の8時から任侠劇場なる番組が放映されていて、いつも通学の大雄山線内では水曜日の朝は友人とその番組の話しで盛り上がっていた。「幸せの黄色いハンカチ」「野性の証明」をリアルタイムで観られたのも懐かしい。第一回日本アカデミー大賞は当然ながら高倉健さんが主演男優賞を受賞したが、その時の対象作品が八甲田山でなかったと記憶する。(後のHPでは幸せの黄色いハンカチと併せて八甲田山となっていたので記憶違いだったようだ)更に最優秀音楽賞も八甲田山が採れなかったと今まで思っており、悔しい思いを何十年もしていたのだが、公式サイトによると八甲田山が受賞していたのでこれまた思い違いをしていた。絶望の淵に立たされた心情や行軍するも物悲しい場面での音楽効果は流石に芥川也寸志と言える重厚なオーケストラによる演奏は他を寄せ付けない魅力だった。今もipodminiで車内BGMで聴いているほどだ。
話は逸れたが、高倉健への心酔は映画鑑賞だけにとどまらない。当時通っていた新幹線ビル内の歯医者に行く途中のエスカレーターの壁に高倉健のパネルが掲げてあった。やくざ映画の時のもので長ドスを右手に持ち、返り血を浴びた刺青の上半身姿にほれぼれし、どうしても欲しくなり売品では無かったようだが頼み込んで1000円で売ってもらった。帰りの電車もバスも包装もせずにそのまま持ち帰った。当時の八省堂で鶴田浩二と高倉健の写真集を購入したり、ニューミュージックや洋楽に走っていた同学年とは異質の趣味を持っていたのかもしれない。
生の健さんに会えたのは、東宝映画「連合艦隊」にエキストラで出演していた時だった。時に大学一年。成城の東宝撮影所で出番の待機をしていた時、一階の部屋で薬師丸ひろ子が寝ているという情報があり、多くのエキストラが控えの二階から降りて行った。当時は「ねらわれた学園」の撮影だったと記憶する。もう一つの情報は、撮影所内に1/20(1/100かも?)の大和の模型があるという話で、友人と共に早速出かけて行ったときである。30mほど先の公衆電話に背の高い人が電話していた。よく見るとそれが高倉健だった。まさか!とは思ったのだが、撮影所内の衣裳部屋を見てみると高倉健様と書かれたカゴがあり、その中にはラーメンすみれの刺繍の帽子と白衣がある。(後に映画を見て知ることになるのだが、駅STATIONの撮影衣装だったのである)やっぱり健さんだった。彼を生で見たのはこの時が最初で最後であった。
鶴田浩二は「連合艦隊」で共演させてもらう前には日劇の公演を2回見に行ったこともある。(当時は高校生)自分以外はおば様だらけで、前の席で講演を観ながらお弁当を広げていたタクアンの匂いが忘れられない。自分の好きだった昭和の名優も亡くなり寂しい限りだ。三船敏郎も、若山富三郎も好きな俳優だった。今はDVDで往年の活躍を見るしかない。
平成26年11月17日(月)
地域夜間パトロールを行った。本日は民生委員さん2名を乗せての巡回。既に8年以上続くパトロールであるが、このところ青少年の蝟集もな無い状況であるが深夜の自転車及びバイク盗難や空き巣、車両荒らしなども度々発生しており、やはり住民それぞれが用心しなければならないのが実情である。犯罪を無くすための努力は限りなく続けて行かねばならない。
平成26年11月16日(日)
昨日夕刻に川東地域において「議会報告会」が開催され、本日は川西地域での開催となった。会派内の同僚がどうしても本日の出席が出来ない事から会派内で調整し、川西地域での開催に参加した。役割は会場案内であり、廊下にて出席者を誘導し、開催後も廊下にて報告会の様子を聴いていた。
実際、各メディアや広報により報告会開催を通知しているのだが、相変わらず出席者は少ない。だからと言って関心がない訳ではないが、出席者からの質問も果たして内容が噛みあっているのか首を傾げるものである。議会としてより多くの方々に報告するのであれば、多くの方々が集っている中の一つのイベントとして設けるとか考える必要がある。更に言えば議員は一人一人が商店店主と同じであり、顧客も違う。当然思想信条、政策、地域、年令、性別も異なることから「議会」という一つのくくりの中で、議会以外で「議会」としての発言として個々の意見を述べることには御法度である。すると、議案に対して議会が採択したか否か、どのような発言がありどのように審議したか程度の話となり、面白くもなんともないと思う。
議員との意見交換を要望する声もあるが、その場でなくとも各議員はそれぞれ陳情や相談の門戸を広げているだろうし、意見が一致する議員を探し、頼りにすればよい。27人もの議員が居るのはそれだけ選択肢があるのである。この先、どのような報告会を開かくのが良いのか、どうしたらよいのか、様々な提案をしていきたい。
平成26年11月15日(土)
特記無し。
平成26年11月14日(金)
午前中、佐賀県武雄市より視察受け入れ。内容が「議会改革について」という事で現在小田原市議会議会改革検討委員長である私に説明せよと言う。この数か月に協議してきた内容については事務局が大方説明し、その協議に際し、各会派議員から出された意見や質問等について解説した。更に、質問に対して答弁を行ったりしたが、やはりそこは議員同士、それぞれの立場からの意見がこのようにあったと述べると「そうだろうな」と直ぐに理解していただける。1時間半の時間もあっという間に過ぎてしまい終了。この後視察団は同郷の本山松田町長への表敬訪問に向かわれた。
平成26年11月13日(木)
地元育成会の役員会に出席。既に自治会より監査日程が示されたようで、3月の頭だと言う。この欄にも何度も記している通り、会計年度が3月31日になっているのにその前に監査をするのであれば中間監査として処理し、その後会計年度終了後に本監査すべきである。何年も同じ苦言を呈していても一向に改善される見込みはない。後は会計年度を2月末日にするしかないか。
平成26年11月12日(水)
午前中は恒例となった議員ボランティア活動としてお堀端通り周辺のゴミ拾い。とはいっても大抵が落ち葉拾いとなる。作業中に何人かの観光客に色々訪ねられた。三の丸小学校を見てお城に関係する建物なのか?とか他に見るところは無いのか?等、質問も様々である。十分に楽しんでいってもらいたい。
昨日から今日にかけていきなり衆議院解散説が浮上してきた。消費税引き上げに対して延期するか否かの判断は来週総理が帰国してからの話の筈なのだがマスコミの情報合戦に踊らされている感がある。既に前政権時に社会保障と税の一体改革に対しては3党合意が図られており、各法案も成立している。その中にあって消費税10%の引き上げの是非は当時から経済指標等を確認したうえで時の政権が判断するとしており、民意を問うか否かは総理の腹一つである。
平成26年11月11日(火)
事務所で作業をしているうちに一般質問の項目が頭に浮かんできた。以前質問した内容が今どうなったのか、小田原市のHPから自分や各議員の質問を引っ張り出してプリントアウトする。どの議員も早い人でそろそろ選挙準備もしているだろうが、こちらは目の前の一般質問をどう行うかで頭がいっぱいだ。大項目3件でも時間が余った試しが無い。一度一件だけに絞って40分の質問をしてみようかなとも思う。
平成26年11月10日(月)
昨日時点で常用薬が切れている。午前中の、それも診察開始直後や午前の部受付終了間際は混んでいる可能性があり、その中間時間である10時半前後が一番空いている。しかし、ドアを開けると意外に人が多い。この時期はインフルエンザの予防接種が多いのだろうか。最近は当然、こちらも風邪やインフル出なくてもマスクをして待合所に入るようにしている。少し離れた場所では咳をするする人も居るがマスクを着けていない。こんな状況はよく見る光景だ。自己防衛。これしかない。
平成26年11月9日(日)
特記無し。
平成26年11月8日(土)
地元で長く続いている神社での合同七五三に出席した。昨年より若干人数は多く感じたが、最盛期に比べればやはり少ない。本来の七五三の一週間前の開催は、逆に15日が土曜日の為に個人でのお祝いの可能性が高いために合同での催しは1週間早めたのか?
午後は中学校で中学校PTA主催の拡大郊外指導会議に出席した。
平成26年11月7日(金)
南足柄市文化会館で開催された湘南議長会研修会に参加した。研修の後に南足柄市議会議員との懇談会が開かれたが、隣の席には高校の後輩が座った。同じ高校だと言う情報は聞いていたが、母体政党が違うため今回が初顔合わせであった。話しも弾み、小田原の議員はそれぞれ大雄山に乗り小田原駅に向かった。高校卒業後、何度か大雄山鉄道に乗ったが、最近は一杯入って乗ることが多いどころか全て飲む前か後にしか乗っていないことに気付いた。
平成26年11月6日(木)
事務所にて来客2件に対応した。
平成26年11月5日(水)
議会改革検討委員会を開催。
平成26年11月4日(火)
明日の議会改革検討委員会に臨むため、次第の確認作業などを行った。各会派から出された意見もあるのだが、それぞれの項目に明確に答えていないところもあり、まず整理をすることの作業から始めなければならない。第一次答申の下準備は揃った。改選以降の特別委員会の方法は各会派意見がまちまちであり果たして意見一致を見るかが気がかりである。
平成26年11月3日()
橘ファミリーフェスティバル当日である。午前7時半に現地に集合。南北育成会合同で当イベントに参加してもう数年となる。中学生による各店舗支援から始まったのであるが、それも定着し、商工会事業の手伝いと共に昔の遊び等の独自イベントも展開するようになってきた。今年はスポーツチャンバラを行うこととなり、体育館にてその準備に取り掛かった。9時前に開会式が行われ挨拶をさせてもらった。急ぎ自宅に戻り指導者の車を会場に案内した。9時半より第一回目の受付を開始したが、なかなか人が来ない。指導者用に用意していたメガホンを持ち、勧誘に会場を回った。ここでひとつ反省は、イベント名称を「スポーツチャンバラ体験」とすべきであったことだ。イマドキの小学生に「チャンバラ」と言っても無反応の子が多かった。それだけ時代劇がテレビで放映されていないからであろうか。また、毎年体育館でのイベントは無いため、実際にどのようなものかをグランドでデモンストレーションを行う必要性を感じた。結局、各時間10人程度の大人、子供が混じってスポーツチャンバラを体験した。中には何回も参加する子供もおり、来年は宣伝次第でもっと盛んになると確信した。
平成26年11月2日(日)
特記無し。
平成26年11月1日(土)
本日よりオープンする地下街、ハルネ小田原のオープニングセレモニーに出席した。家内も早速入りたいという事で私を送りがてら車を運転したのだが、東口駐車場入り口は若干の混雑具合い。ただ、あと数台で駐車できそうだったので私は降りて会場に向かった。式典会場は特に混んでいるわけでもなかったのだが、座席の後ろを見ると多くの来客が列をなしている。今迄、小田原地下街でこれだけの人を見たことが無い。式辞、テープカットの後にいざオープン。すごい人の波に呑まれながら家内と連絡をとる。一定の店舗を回り、食事の時間なのだがこれではとても食事など出来ない。同じような考えの方も多く、ラスカの総菜売り場も人が多い。そもそも人混みは嫌いなので弁当を買って自宅で食すことにした。
今日のような人数が毎日とは言わないまでも、土日は溢れているというような状況を果たして作り出すことができるのだろうか。先般見てきた富山県の高岡地下街を思い出さずにはいられない。