平成20年
2018年05月08日
【報徳サミット】
一ケ月のご無沙汰です。
いつの間にか47歳の誕生日を迎え、時間の速さに驚く毎日である。
さて、今年で14回を迎えた報徳サミットが静岡県掛川市で開催された。朝9時開会ということで、東名高速をバイクで移動し、前泊して会場に向かった。
掛川は第2回以来12年ぶりの開催であり、自分も2回目である。昨年は有志議員も大勢参加したのだが、今年は私一人のようだ。ホテルを出るころに雨が降り出し、カッパを着て会場である掛川市生涯学習センターに開会20分前に到着した。
会場には既に多くの方々が集まっており、受付には人々が殺到していた。何度かサミットに参加しているので、いつものように議員受付に行ったのだが、地元の議員の名簿しかないという。小田原市としての受付があったかはわからないが、案内されることもなかったので会場に入った。昨年は受付で弁当を渡されたが、今回も事前に申し込みをしていたことから気になったのだが、席についた。
掛川少年少女合唱団によるオープニングセレモニーがプログラムでは9時となっていたが、その前から始まり、開会も5分ほど早くに始まったようだ。
ここで、気になる点があった。すべての方々では無いのだが、挨拶に立った方々の中で、壇上に礼をしないのである。勿論、国旗と市旗が壇上奥に並んでいる。必要以上に頭を下げることもないが、何も気にとめてもいないようなので、普段から意識していないのであろう。サミットとは直接の関係はないが、立派な肩書きを持った方々である。常識を持ち合わせてもらいたいものである。
開会、挨拶と続きパネルディスカッションに入った。今年は首長の出席は開催市である掛川市以外では2市だけであり、加藤小田原市長も出席された。掛川市長の独断で首長本人出席市町は5分、その他は3分の時間割で各市町の尊徳翁との関わりや関連する政策などについて語った。全部で11自治体もある事から、ディスカッションといえども一周して時間となった。毎年同じような形で繰り広げられるパネルディスカッションであるが、そろそろ他の事を考える必要もある。
続いて、山折哲雄先生による基調講演が行われた。過去、何度も様々な講演を聞く機会があるが、だいたい話はじめで眠たい時間となるか、最後まで興味深く見れるか決まる。また講師の声質も判断材料の一つであり、声の大きさも然りである。
さて、山折先生はどうであったろうか。話はじめから声は小さめ、一方的な口調は大学教授そのものであり、絶対眠くなる話と思っていたのだが、宗教学者ということもあり、西洋と日本の価値観、宗教観の相違による様々な事象を具体的に示されとても興味深かった。
最後に大会宣言決議が掛川市教育長(?)により朗読されたが、朗読後、きちんと壇上に礼をしたのが印象深かった。12時に閉会。
過去5回ほどサミットに参加して感じたことを数点挙げておく。
①若い人がほとんどいない。
②毎回同じようなプログラムで運営されており新鮮味が無い。
小田原市だけでなく、尊徳翁ゆかりの地でも小学生や住民に副読本を与えたり、発表をさせているところもあるようだ。であれば、小学生の研究発表の場としたり、演芸で尊徳の一生を披露したり、その街の方々中心に盛り上がるイベントであってほしいと願う。
【長い9月】H20.9.24
今年の9月は長く感じる。既に24日が過ぎたのだが、この8月末からの出来事があまりにも多すぎたからかもしれない。
8月の最終日、31日には地元で小田原市総合防災訓練が行われた。橘北と橘南の合同訓練会場は下中小学校。橘南の方々はバスで会場に来る方もおり、本当に防災訓練なのか?とも思うのだが・・・。
日頃防犯活動を行っている我がブルーアイズも、災害防犯活動として参加。6台の車両は自治会長に出発の伝達を終え、会場から地域周辺をパトロールした。
防災訓練のため留守宅も多いことから、3班に分けての巡回。実際、発災した場合には倒壊、半壊家屋の住民が避難していることをいいことに泥棒を働く者(いわゆる火事場泥棒)が、かなり早い時期から現れる事から、地域住民による監視、巡回態勢を日頃から作っておく必要がある。また、情報収集、救護、救出も防犯と共に、ブルーアイズはその任を負うつもりだ。
9月に入り、直ぐに9月定例議会が開会。翌日には「小田原あきんど会議」によるパネルディスカッションへの出席要請があり、個人的立場で出席した。8月29日に開催された議員説明会では市長から「マニフェストに掲げたお城通り再開発予定地にホール機能を取り入れる案を、従来通り三の丸地区に戻す」といった内容の話があり、小田原駅周辺の問題が目まぐるしく変化する真っ最中で、将来像を語るには具体案も描けない状況の中でのディスカッションであった。
特に、司会者から「小田原ならでは」とは?と聞かれたのだが、自分自身も果たして「小田原ならでは」のものが見当たるのか、考えたことも無く、豊かで温暖な自然環境、歴史、文化にも恵まれ、都心にも近く、交通の要衝でもあることから、恵まれ過ぎていることが逆に「小田原ならでは」を作りにくい環境にあるのかも知れないと応えるのがやっとだった。
パネラーからは「小田原スタイル」を見つけるべきとの発言もあったが、何をどうすれば小田原スタイルが生まれるのか、そのスタイルとは何なのか、小田原の住民が追うべき宿題である。
議会開会日に出された請願の紹介議員5名の代表として、議会運営委員会での質疑に答える身となった。紹介議員の代表者は、来る本会議及び委員会に付託された場合は、その委員会でも答弁をしなければならない立場となる。
議会運営委員会での質疑は、内容よりも経緯などについて触れられるだけだから良いとして、本会議、委員会では内容も含めて請願者の意向(奥に秘められたもの)までも聞かれることがあった。どうしても推測での返答に頼らざるを得ない状況もある。ならば、請願者から直接聴取すれば良いとの議論も出ようが、市民を代表しての議会である。紹介議員となった以上は、ルールに従って行動するしかない。陳情審査はその文面で陳情者の真意、秘めたる思いまでも推察して採決する場面はいくらでもある。
昨年の議会改革検討委員会では、請願を出しやすい環境にしたいというのが持論である。請願紹介議員は様々な質疑に答えて粛々と審査に委ねるしかない。それが使命でもある。
お陰様で、委員会の採決及び本会議においても請願は採択された。数名の議員の反対、賛成討論が飛び交った。既に質問にも答え、議論にもなっているのだが、確かに合併に進むためには任意合併協議会は絶対必要事項である。だから合併を前提とした議論だというのは一理あることは確かだ。だが、既に首長による合併検討会がスタートして一年半以上が経過し、広域市町村圏協議会も30年以上の歳月をかけて合併を視野に入れた協議を重ねている背景がある。唐突に出た話でもないし、次の検討会では任意合併についての議論もすることになっている以上、小田原市、小田原市議会のスタンスを明確に他市町に知らしめる必要があるのである。
請願にもあるように、そこで合併するしないを決めるのでもなく、手を挙げた市町の財政をはじめとした数千に及ぶ項目をオープンし協議する場を経ないと、住民に合併の是非は問えない。是とする者も、今後福祉分野や環境、各種サービスが少子高齢化及び国や県の助成が果たして続くものかも視野に入れた検討により、合併が住民生活に及ぼす影響がどうなのか知らなくてはならないし、非とする者も、推計や数値として住民に影響をきたすことがはっきり判れば反対すれば良いのである。
とにかく、先に配布された報告書だけで判断できる資料ではない。任意協議会を設置しても合併しなかった市町村もあると聞く。新法適用という時間的制約以降は、国も県も助成する確約が無い中では、期限内での合併の可能性を大いに協議すべきであり、逆に期限以降に合併するという姿勢のほうが問題だ。
【恒例の靖國参拝】H20.8/16
昨日は恒例となった靖國神社の参拝を行った。早朝、日章旗を半旗にし、バイクに乗って一路靖國神社に。霞が関ICより一直線で靖國神社の駐車場入り口に入ったものの、昨年駐車した場所はロープで塞がれている。係員に聞くとここには駐車できないと言われ、次の交差点までバイクを押して行き、ようやく木立のスペースに駐車できた。
今年も全国から地方議員有志が集まった。各々様々な考えはあろうが、共通していることは国難に殉じた英霊を心から追悼し、彼らの望んだ平和を維持し、国家安定、国民の安寧を願っていくことである。そのためにも、靖國に祀られている英霊に感謝の意を表すことが目的である。
例年以上に暑いこの靖國の社に、本日も多くの遺族や参拝者が訪れている。若者も目立つ。杖をついて汗をかきながら参道を歩く高齢者も多い。皆で参拝を行い、靖國を後にした。
今日の新聞で、昨日、正午にまたいで行われた戦没者追悼式で衆院議長が新たな追悼施設建設に言及したとの記事に触れた。この件は、確か福田総理も官房長官時代に積極的に発言していた問題でもある。首相から最近は聞かなきなった当件に業を煮やし、その発言に繋がったと見るが、天皇皇后両陛下ご臨席の下で、かつ多くのご遺族を前にした発言としては、いささか場違いな発言ではなかろうか。
先にも述べたように、英霊が祀られている靖國神社に35度を超す暑さの中、足を運んでいるご遺族の気持ちを、本当に考えているのであろうか。その発言をそれらの方々を前にして言ってみたらいかがだろうか。
隣国のご機嫌を窺い、先人の気持ちを削ぎながら魂の無い施設に頭を垂れても何の意味もない。まさしく未だ魂の入っていない神輿を担いでいるだけの祭りに似ている。神輿は神社より魂入れの儀式を経て初めて神輿となる。その儀式を経ずに担いでいる神輿はその雰囲気を得たいだけの趣味に過ぎない。
中国がオリンピックに浮かれている今こそ、8月15日に福田首相が靖國を参拝しても、いつものような反応は起こらないだろうと推理した上坂冬子氏の論は的を得ていたと見る。
期待はしていなかったが、案の定の結果となり、おまけに先述の発言などから国の指導者に今は大きな期待はできない。
【チャンスなのにピンチとは?】H20.8/11
横浜高校が4年ぶりに3回戦進出となった。慶応高校も勝ち進み、決勝戦が神奈川県2校によって行われると面白いと神奈川県人の誰もが思っているだろう。そうなれば、北、中、南の3校の出場枠の検討も必要となってくるかもしれない。
さて、5月に自宅近くでの落雷により、テレビ、電話、パソコン周辺機器が被害にあった。火災保険に加入していたとは言え、PCのデータが数か月使用不能状態となっていたため、一気に機動力を失ってしまった。OSもいつの間にかVistaとなったため、XPすらまだ馴染んでいないのにまた覚えなければならないものが増えた。
話を高校野球に戻そう。これは、野球一般に言えるのだが、代打をピンチヒッター、代走をピンチランナーと言われていることはお馴染だ。夏休みで家にいる子供に聞いてみた。「今、攻撃側はピンチなの?」「いや、チャンスだよ」「じあ、何で代打をピンチヒッターって言うの?チャンスヒッターじゃないの?」「知らね」そんな会話。
更に、「走者を代走にするってことは、少なくとも代走は足が速いから代えたんじゃあないの?」「だろうな」「じゃあ、チャンスなんじゃん。ピンチだから出した訳じゃないじゃん」「知らね」
そもそもひねくれ者だからかも知らないが、ピンチという言葉は、防御側が使うのではないだろうか?もし、攻撃側がピンチヒッターを出すのであれば、殆どの控えの選手が登用され、ベンチには全く打率の悪い者が控えており、メンバーが故障してどうしてもこの当たっていない控え選手を登用せざるを得ない時にこそピンチヒッターと呼ぶのではなかろうか?日本語の妙?と言うか、いや、日本語では代打、代走というように、適正な単語がある。それを使えばいいんだ。
日本語の妙?もある。納豆は、どう見ても大豆を腐らせているのに豆腐でなく納豆。方や豆腐は大豆を濾した豆乳を凝固させて器に納めたのに豆腐と書く。これは如何なこと??
これに関するサイトはいくつもの説があり、現状容認派と間違い説をとる派に分かれているようだ。果たしてどれが正しいのだろうか?日本語の妙?である。
【親知らず】H20.8/10
右の下に大きな親知らずがある。既に3本の親知らずは抜いてあり、残るはこの一本だけである。
そもそもこの存在は、20年ほど前から知っている。3本目の抜歯の際にはまだ歯肉に隠れていた。おまけに真横になっている。
3本目の時には麻酔が効かないくらい辛い抜歯だったことを記憶している。医者の指を数回噛んでしまったくらい痛かった。後で骨と癒着していたとも聞き、また、本来は出るはずの血もほとんど出ないくらい骨の密度が高くてその後にも苦しんだ。
今回、年齢を重ねて歯肉が落ちて表面に歯が現れてから数年が経過した。最近は食べカスも詰まるようになったため歯医者に抜歯を申し出ると、口腔外科に紹介状を書いてくれると言う。
口腔外科ではレントゲンを撮って、医師から「この状態では抜歯するしかない」と言われ、手術日を8月8日に決めた。20分くらいで終わるらしい。知人に聞くと、出血が止まらずに一晩で大量の血がシーツを染めたとも聞いた。恐怖感と期待とが交錯して手術に臨む。
結果は・・・。麻酔が効いておりほとんど痛さは感じずに、いつの間にか「抜けたよ!」との医師の声で手術が終わったことを知る。
あっけなく終わった手術。腫れはほとんどない。しかしながら、様々なHPを見ると、これからの数日が大変だという。確かに麻酔が切れてきた夕食時に多少痛みが出てきた。だが、出された薬を飲んで数十分経つと痛みは和らぎ、食事も普通に摂れるではないか。
この機会に食事が制限され、痩せる契機と見ていた妻はがっかりしたのは言うまでもあるまい。
抜歯翌日に消毒に来院すると、既に血は止まっているので一週間後に抜糸する予定だ。だが、2日目から大分頬が腫れてきた。鏡を見ると「瘤取りおじさん」のようである。3日目くらいから腫れは退いていくらしいが、果たして大丈夫だろうか。