令和3年6月定例会一般質問
2021年07月01日
◆20番(加藤仁司君) 通告に従い順次質問してまいります。
初めに、大項目1、本市に関わる偉人顕彰についての(1)小田原市郷土文化館常設展示ガイド「小田原の歴史と民俗」について伺います。
本年3月に刊行された小田原市郷土文化館常設展示ガイド「小田原の歴史と民俗」は、本市の歴史や時の人々の生活、活躍した偉人等を取り上げるとともに、現在本市が収蔵等をする資料を紹介する冊子として、大変興味深く拝見したところであります。
そこでまず、当展示ガイドはどのように活用されているのか伺います。
次に、本市ではこの展示ガイドに紹介し切れない収蔵資料が多数あると推察いたしますが、市全体としてどのくらいの数の収蔵物があるのかを2点目として伺います。
次に、(2)本市出身及び本市にゆかりのある偉人発掘について伺います。
展示ガイドでは、さきにも述べましたとおり、全国的にも有名な本市の偉人である二宮尊徳翁をはじめ、北条氏、近代三茶人、さらには北原白秋などの文化人も、その功績等が、詳細とは言えませんが紹介されています。これらの方々は、展示ガイドだけではなく様々な書物等で目にするところですが、本市として、この方々以外に偉人と呼べる人物がおられれば、示していただきたく存じます。
さて、先日、小田原ゆかりの人物及び小田原市出身のお二人の方々の名前を初めて伺いました。その一人は、廣枝音右衛門氏であります。廣枝氏は、足柄下郡片浦村に生まれ、片浦小学校から逗子開成中学校、日本大学予科に進み、軍隊に入隊。満期除隊後に、湯河原町の小学校教員を経て台湾総督府巡査となりましたが、戦況激しくなり、フィリピンのマニラに海軍巡査隊として戦いに参加。多くの台湾人部隊を統括する大隊長でありましたが、いよいよ突撃命令が下されたとき、廣枝大隊長は部下の台湾人たちに、「絶対生きて故郷に帰れ。責任は俺が取る」と言って拳銃自決したそうです。その部隊の生き残りである劉維添氏をはじめ、有志が戦後、廣枝氏慰霊を毎年続け、現在でも慰霊祭が挙行され、命の恩人である廣枝氏にひたすら報恩感謝の念を注いでいるということです。
もう一人は、慶応3年(1867年)生まれで、現在の静岡県袋井市出身の浅羽佐喜太郎氏であります。浅羽氏は、東京大学医学部を卒業後、今の前羽地区町屋に病院を開業していましたが、フランスの植民地であったベトナム独立運動の指導者の一人であり、日本に学べと、ベトナム青年をしかるべき独立に備えて人材の育成を目指した東遊(ドンズー)運動を進めた潘佩珠(ファン・ボイ・チャウ)の理解者、支援者として、多額の援助を行い、行動を助けたそうであります。様々な恩恵を受けた潘氏は、帰国後、浅羽氏が43歳という若さで亡くなったことを知り、浅羽氏の故郷である東赤羽村に報恩の浅羽佐喜太郎公紀念碑を建立しようと、偽名を使って入国し、地元の村民と力を合わせて大きな紀念碑が建立され、平成30年には袋井市で紀念碑建立100年の記念式典が盛大に開催されたようであります。
廣枝音右衛門も浅羽佐喜太郎も、ともに外国人から慕われた日本人であります。そして、今述べた方々は本市に関わりのある人物でもあります。そこで廣枝・浅羽両名を記した書物や両名に関わる記事等を本市で取り上げたことがあるのか伺います。
次に、大項目の2、選挙の時勢に応じた方策について、幾つか伺います。
初めに、(1)年代別投票率についてであります。
昨年9月定例会において質問した事項でありますが、まさにスピード感を持って調査され、このたび公表していただいたことに心から感謝申し上げます。まずは、抽出ではありますが、この年代別投票率についてどのような検証が行われたのか伺います。
さらに、今後の投票率向上に向けた取組についても伺います。
次に、(2)選挙運動用ポスターについて伺います。
公職選挙法の改正が、昨年実施されました。これは主に町村議会議員選挙に対する改正のようですが、昨今、特に町村における議員の成り手不足なども考慮し、市等と同様に、公費負担の導入等、国も実情に即した法改正を図ったと思われます。
さて、これは議員各位及び市長にも関係するところですが、法が改正されても、昭和時代から一向に変化のないものの一つに、選挙運動用ポスターの掲示が挙げられます。本市においては、一昨年の市議会議員選挙では382か所、公営掲示板に候補者のポスターが掲示されました。そのときの候補者は37人。公営掲示板は、貼付した方々なら分かりますが、大通りだけでなく狭い道筋や交差点、石垣の上だったり、様々な箇所にあります。その上、立候補の届出順が確定され、一斉に各所ポスターの貼付が始まると、一昨年のデータを参考にすると382か所掛ける37人イコール1万4134人が延べで携わることとなり、一つの掲示板に、車であれば37台が集中すると計算できます。時間差や複数枚貼付することも当然であって、今のはあくまでも数字上の話ではありますが、ポスター掲示に関してトラブルも毎回、多少聞くところです。
そこで、まさしく人海戦術となっている選挙運動用ポスターの掲示方法を、例えば全候補予定者が事前にポスターを預け、一斉に業者が貼付する、あるいはポスターのデータでシートを作り、それを貼付するなど、ポスター掲示方法を本市独自の形で掲載することは可能か否か伺います。
次に、(3)選挙公報について伺います。
近年、様々な選挙において期日前投票が実施されてから、投票行動の変化が顕著であると認識しております。有権者にとってみれば、投票日に都合が悪くても、1週間の中で投票が可能となった期日前投票を有効に利用できることは評価されていると思います。しかしながら、立候補者が自らの考え等を掲載した選挙公報は、本市を例に取れば、立候補の届出は日曜日ですが、選挙公報が届くのは水曜日の朝刊となります。市のホームページでは、翌日の月曜日にはアップされていることは承知いたしておりますが、紙ベースでは日曜日、月曜日、火曜日を待たなければ、有権者の元には届きません。
そこで、選挙公報が有権者に届く前の投票がどのくらいあるのか、直近市長選挙、市議会議員選挙における状況を伺い、登壇しての質問といたします。
◎市長(守屋輝彦君) それでは、20番加藤議員の質問に順次お答えをしてまいります。
まず、小田原市郷土文化館常設展示ガイド「小田原の歴史と民俗」の活用について質問がございました。本年3月に刊行いたしましたこのガイドは、郷土文化館所蔵の資料はもちろん、実際に見学できる史跡や遺跡、祭りなど、市内の多様な文化財についても掲載し、紹介をしているところでございます。本ガイドは、市内小・中学校や県内図書館施設に配付したほか、郷土文化館で販売しておりますが、このガイドの活用により、多くの方に小田原の歴史や民俗を伝え、本市の豊富な歴史資産に関心を持っていただきたいと考えております。
次に、市が所蔵する収蔵物について質問がございました。令和3年3月末時点で、生涯学習課が所管する郷土文化館、松永記念館、尊徳記念館の収蔵物は、合わせて約3万4000点となっております。図書館が所管する中央図書館と文学館を合わせた貴重資料の総数と、文化財課が所管する埋蔵文化財の発掘に伴う出土品の収蔵総数は、箱数での把握となりますが、それぞれ文書保存箱等で約6100箱、遺物整理箱で約1万200箱となっております。また、天守閣の収蔵資料総数は約2500点となっております。
次に、常設展示ガイドに登場していない本市ゆかりの偉人について質問がございました。常設展示ガイドに登場していない本市ゆかりの偉人といたしましては、荻窪堰を開削した川口廣藏や、二宮尊徳門下で札幌市の都市発展の礎を築いた大友亀太郎、また、「明治小田原町誌」を残し、郷土資料の収集や保存に尽力した片岡永左衛門らが挙げられます。
次に、廣枝音右衛門氏と浅羽佐喜太郎氏に関しまして、本市で取り上げたことの有無について質問がございました。現時点では、本市においてお二人に関する書物や記事等を取り上げた事実は確認できておりません。なお、浅羽佐喜太郎氏につきましては、郷土文化館において既に情報を得ており、学芸員が調査を進めているところでございます。
20番加藤議員の御質問のうち、選挙の時勢に応じた方策については、選挙管理委員会委員長からの答弁といたします。
以上をもちまして、20番加藤議員の質問に対しての答弁とさせていただきます。
◎選挙管理委員会委員長(井原義雄君) 20番加藤議員の御質問のうち、選挙の時勢に応じた方策については、私から御答弁させていただきます。
初めに、年代別投票率の検証について御質問がございました。令和2年5月17日執行の小田原市長選挙における投票行動を把握するため、抽出した投票区の年代別投票率を集計いたしました。この結果、10歳代が40.75%、20歳代が27.01%で、それ以上は、年代が上がるにつれ投票率が高くなり、70歳代が61.98%と最も高く、10歳代を除く若年層の投票率が低い傾向が明確となっております。これは、国政選挙における全国的な傾向と同様であり、このような現状を踏まえた中で、今後の啓発に役立たせていく所存でございます。
次に、今後の投票率の向上に向けた取組について御質問がございました。今回の集計結果を踏まえ、若年層を中心に、ツイッターをはじめSNSを活用した啓発など、あらゆる機会を通じた情報発信を進め、政治に対する意識の醸成を図ってまいります。また、児童向けの啓発を行うことで、その親世代であります若年層の投票を促す取組を行い、全体の投票率のさらなる向上につなげてまいりたいと思います。
次に、選挙運動用ポスターについて御質問がございました。選挙管理委員会では、公職選挙法の規定に基づき、選挙公営として、ポスター掲示場の設置や設置場所を表示した図面の交付、ポスター作成費用の公費負担等を行っております。一方、公職選挙法第144条の2第5項において、ポスターを掲示する主体を候補者と定義しているため、20番加藤議員から御提案がございましたような、選挙管理委員会がポスターを預かる方法で実施することは、制度上できないこととなります。なお、候補者がまとまって同一業者に掲示作業等を委託することは、法的に問題はございません。
次に、選挙公報が有権者に届く前の投票数について御質問がございました。令和2年5月17日執行の小田原市長選挙におきましては、選挙公報の新聞折り込み前における期日前投票者数は6946人で、全投票者7万4543人のうち9.3%でございました。また、平成31年4月21日執行の小田原市議会議員選挙におきましては、選挙公報の新聞折り込み前における期日前投票者数は3582人で、全投票者6万7443人のうち5.3%でございます。
以上をもちまして、20番加藤議員の御質問に対する御答弁とさせていただきます。
◆20番(加藤仁司君) 一定の御答弁をいただきました。
初めに、順番を変えさせていただきまして、選挙関係について再質問をいたします。
本日は、かつての同僚でありました井原委員長におかれましては、この質問のために、大変お忙しいところ御出席をいただきまして、ありがとうございます。御自身も経験されました選挙について、もう少しだけ質問させていただきますので、よろしくお願いいたします。
最初の質問の、年代別投票率、これについて検証されていることは分かりました。また、投票率の向上、これに向けて早速取りかかっているということで、大変理解をしたところであります。ぜひとも、その調査の結果を受けて、今年実施されます衆議院選挙、それをはじめ各選挙の投票率向上のための啓発に生かしていただければと思っております。
次に、ポスターのほうに移ります。公職選挙法では、先ほど提示したような策、これは残念ながらも制度上できないということが分かりました。しかし、どうしてもこれは釈然としないのです。これだけ、もうデジタル化が図られて久しいと言われている世の中で、人海戦術という非効率な運営が図られているということは、誰が見ても明らかだと思います。
それでは、これは次善策といいますか、選挙公報のように、立候補の翌日に公報がホームページに掲載されますけれども、立候補の翌日に公営掲示板に貼られている形での、本市のホームページへの立候補者の選挙ポスターの掲載、これは法律上可能なのかどうか伺います。
◎選挙管理委員会委員長(井原義雄君) 選挙運動用ポスターの掲載についての再質問がございました。選挙運動用ポスターを本市ホームページに掲載することは、公職選挙法第6条の規定により、有権者に対する啓発、周知活動の範囲を超えるものであるという総務省の見解がございます。また、選挙運動用ポスターは、候補者が主体となって作成し、掲示する選挙運動用文書図画であり、複数種類のポスターを作成した候補者の掲載方法など、候補者間の平等公平な取扱いを担保することが困難でございます。以上のことから、選挙運動用ポスターを本市ホームページに掲載することは、公職選挙法に抵触するおそれがあり、できないものと思います。
以上です。
◆20番(加藤仁司君) これまた、法律上できないということであります。でも、これは法律と現実、これが今、本当にリンクしていない。これは本当に問題ではないかなと思います。これは、公職選挙法ですから国においてでしか議論できないのでしょうけれども、掲示板の場所の設定等も各自治体、これはいつも頭を悩ませているということもあります。時代に沿った掲示方法が必要であろうとの思い、これを持っているということだけは伝えさせていただきます。
それでは、再質問の(3)のほうなのですが、期日前の投票者の動向、これは分かりました。市長選挙、市議会議員選挙だと、立候補者の数が圧倒的に違う。そして、先ほども述べましたように、立候補翌日にはホームページで各候補者の公報が掲載されるということで、今のデータが、一概に選挙公報を未読の投票者とは言えませんけれども、一定の数の方々がいられるなということは分かりました。本来、国は、期日前のこの投票制度と一緒に、選挙公報の在り方も議論されるべきではなかったのかなと思いますが、少なくとも現在、水曜日の朝、立候補の受付をして3日後でないと紙ベースでの選挙公報が有権者に届かない現実を、少しでも早く届けられることはできないのか。これは法的な部分と、選挙管理委員会委員長の考えも併せて伺いたいと思います。
◎選挙管理委員会委員長(井原義雄君) 選挙公報の早期配布についての再質問がございました。選挙公報は、公職選挙法第170条において、各世帯に対して、投票日の2日前までに配布するものと規定されております。本市ではこれまでも、可能な範囲で早期の配布を行っているところでございます。折り込み日が告示日から3日後となります理由は、配布までの工程が、選挙の告示日に掲載申請され、立候補届出締切り後に、その掲載順序をくじで決定した後、印刷し、新聞への折り込みとなるためでございます。なお、本市施設等におきましては、告示日から2日後にお渡しできるよう配架しているところでございます。
次に、選挙公報の早期配布における私の考えについて再質問がございました。選挙公報は、候補者自身の経歴や政見等を有権者に知っていただくための有効な手段でございます。有権者が1票を投じる判断の重要な基礎となるものでございます。そうしたことから、選挙公報の早期配布は、有権者の投票行動の決定において大変有意義なものであると考えておりますので、今後も継続して早期配布に向け努力してまいる所存でございます。
◆20番(加藤仁司君) 選挙管理委員会委員長からお考えをいただきました。やはり、国の法律の問題だということであります。今はまだ、コロナ禍でありますので難しいかもしれませんけれども、県内の選挙管理委員会の関係者、また総務省との会合の機会、こんなことがありましたら、地方自治体におけます選挙事情、これをぜひともお話をいただいたら幸いです。委員長のますますの御活躍をお祈りいたしまして、大項目の1に移らせていただきます。
大項目の1の(1)展示ガイドの活用、これについては分かりました。今回拝見したガイドは、本市の資料や歴史、これを本当にコンパクトにまとめられているということで、大いに評価をするものであります。また、先ほど市長の答弁の中には、小・中学校、ここのほうにも活用しているということの答弁もありましたけれども、これは学校の教材として利用していないのか、また利用するつもりはあるのか、伺わせていただきます。
◎理事・教育部長(北村洋子君) 小田原市郷土文化館常設展示ガイド「小田原の歴史と民俗」を学校の教材として利用することについて御質問をいただきました。本ガイドにつきましては、現在のところ、授業等で教材として利用してはおりませんが、学校図書館へ配架して、児童・生徒が閲覧したり、教員が学習指導用の参考資料とするなどしております。市立小・中学校では、郷土学習の資料として、教育研究所が、小学校3年生に「わたしたちの小田原」を、中学校1年生に郷土読本「小田原」を発行し、配付しておりますことから、本ガイドにつきましては、引き続き参考資料とするなどして利用してまいりたいと考えております。
以上でございます。
◆20番(加藤仁司君) 小学校の図書館等で使われているということです。小学校3年には、「わたしたちの小田原」という冊子を使っているということでのお話がありました。やはり、小田原の歴史を知ってもらうのには、小学校3年というよりも、もうそれこそ幼稚園、小学校1・2年生、ここら辺の子たちにも自分たちの住んでいるところを知ってもらうということは、本当に必要なのではないのかなと思っているところであります。そこで、これは教育委員会のほうで工夫をしていただいて、まさしく低学年の子たちにも分かるようなガイド、これを作ってみたらどうかなと提案させていただきますけれども、御所見を伺います。
◎文化部長(鈴木裕一君) 郷土文化館における低学年向けの常設展示ガイドの作成について御質問をいただきました。小学校で歴史を学習するのは、基本的には6年生でありますけれども、低学年が理解できる内容の常設展示ガイドとなると、特に歴史の部分については、相当な工夫が必要になると考えております。高学年以上を対象にした子供向けの常設展示ガイドにつきましては、幾つかの博物館でも作成しておりますので、それらを参考にしながら、今後どのような展示ガイドにしたら、小学生が郷土の歴史や民俗に関心を持ち、理解できるようになるか検討していきたいと考えております。
以上でございます。
◆20番(加藤仁司君) 御答弁をいただいたところでありますけれども、「わたしたちの小田原」、これについてはホームページにも掲載されておりましたので、私も見させていただきました。先ほど言いましたように、低学年の子たちには、いろいろなところを網羅されていることは確かなのですけれども、やはりなかなか難しいかなと思うところであります。小学校も、低学年から高学年まで6年間の部分で成長もあると思いますけれども、そういった年代に分けた形での冊子、これができればいいかなということで、私の感想だけ申し上げさせていただきます。
次にまた、所蔵物について数を伺いました。この所蔵物の数については、どなたかが数量を伺っていたという記憶もあるのですけれども、改めてその数を伺いまして、その多さに大変驚いたところであります。今回は取りあえず数を伺ったということで、再質問はいたしませんので、次に移らせていただきます。
次に、本市出身及び本市にゆかりのある偉人発掘についての再質問をいたします。
最初に、本市において偉人と呼べる人物を幾つか挙げていただきました。まさしく、今御答弁いただいた方々も、本市の財産の一つでもあります。機会があれば一人残らず紹介すべきだとも思うのですが、今回、私も拝見しました展示ガイド、これはどうしてもページの関係上難しいことは理解するものであります。
さて、先ほどお二人の方々を紹介させていただきました。書物、そして研究をされていると。浅羽氏については、調査のほうが少し進んでいるということは聞いたわけなのですけれども、なぜ、今回私が彼らを取り上げたのかといいますと、浅羽氏は明治期において、祖国独立を夢見たベトナムの青年に、それこそ私財をなげうってまで助け、そして廣枝氏は、当時は日本と一体だった台湾とはいいましても、台湾人の将来を願い、自らはその責務を全うするという、日本人の誇りを体現された方々と思っているからであります。両氏の功績や世話をされた方々のインタビュー、そして資料等もホームページ、インターネット等でも拝見することはできるのですけれども、ここではその一部始終を紹介するには時間がありません。ぜひとも、本市ゆかりの方々を様々な場面で紹介され、本市の宝として市民に周知されることを願ってやみません。
ところで、浅羽氏の故郷であります静岡県袋井市、ここでは郷土の発展に尽くした人々のパネル展や、袋井市のホームページに袋井の偉人6人を掲載したり、また平成27年の市制施行10周年には、教育委員会から「袋井の偉人」と題する冊子が発行されまして、30人の偉人略歴、功績などが掲載、さらに掲載できなかった人物10人は簡単な略歴が掲載されるなど、郷土の偉人に対して大変丁重な取扱いをいたしております。本市も、廣枝氏、浅羽氏に限らず、先ほど答弁をいただいたような大勢の偉人を一堂に会した冊子を作り、広く市民にも伝えていくべきだと考えますが、市長の御見解を伺います。
◎市長(守屋輝彦君) お答えをいたします。
郷土の偉人をまとめた冊子といたしましては、平成3年に市民団体によって「小田原・足柄の発展につくした人びと」というものが刊行されております。郷土文化館では、本市ゆかりの偉人につきまして情報収集に努めるとともに、市民ボランティアとの協働による、顕彰碑を含む石造物の調査も進めておりまして、これまで知られていなかった偉人が発掘される可能性もあると思います。
先ほどいろいろな、私自身も答弁させていただいたように、小田原には本当に偉人と呼ばれる方たちがいて、その方たちの足跡をなぞること、そしてそういう方が小田原にゆかりがあるということを、やはりこれはたくさんの人に知っていただくということ、それは小田原市のこれからの発展にとっても、そしてこれから小田原で育っていく子供たちにとっても、大変重要なことであるかなというふうに思います。先ほど答弁させていただいた、例えば川口廣藏氏については、地元の話で恐縮ですけれども、荻窪堰ができて地元が栄えていったということがあって、今もお彼岸のときに菩提寺に行って自治会の方がお参りをしているということ、今のはほんの一例ですけれども、これはいろいろなところで行われているということも踏まえると、でも地元のそのことは知っているけれど、なかなかほかのところは知らないということがあるのも現実だというふうに思いますので、ぜひやはり、こういう調査を進めていく必要があるのだろうというふうに思います。こうした調査の結果については、当面は郷土文化館の研究報告やホームページで市民に周知をし、成果がまとまった段階で冊子等の作成を検討していきたいと考えます。
以上です。
◆20番(加藤仁司君) 今、市長のほうから、御答弁の中に、「小田原・足柄の発展につくした人びと」が刊行されているというお話がありました。確かに平成3年に刊行されたということなのですけれども、その当時に、書籍の刊行に御尽力をいただきました皆様には大変敬意を表するところであります。しかしながら、発行から、もう30年歳月が流れているわけであります。そして、この30年の間には、これは市長からも答弁の中にありましたように、新たに発見された資料、また、より深く研究されたもの、こんなことも幾つかあると思います。新たな書籍を刊行するということは大変時間のかかる作業でもあります。また、それをどこが、そして誰が発行するかという問題もありますので、即刻にはいかないということは理解します。ただ、ぜひとも対外的にも本市の偉人に関する情報、これを発信していただければ、今回のように、台湾の方々、そしてベトナムの方々との交流にも発展していくのではないかな、このようにも思うものであります。
これは今、コロナ禍ではありますけれども、これが収束をした暁には、ぜひとも友好関係を築いていただいて、お互いが手を取り合って共に幸せに向けて交流を図る、そういったことが廣枝氏、そして浅羽氏、そして劉氏や潘氏が喜ぶことではないのかなと思うところであります。台湾やベトナムをはじめ諸外国との相互交流、これについての市長の見解を伺います。
◎市長(守屋輝彦君) それをきっかけとした本市ゆかりの方の諸外国との相互交流についての御質問でございますけれども、今回御紹介いただきましたように、本市にゆかりのある方の功績が、今でも現地の人々から深く感謝され、尊敬の念が集められているということは、大変私も誇らしく、うれしく思っているところでございます。そして、こうしたつながりから草の根レベルの交流が生まれ、相互理解が深まり、お互いの地域が発展していくということにつながれば、これは大変有意義なものであって、すばらしいというふうに率直に思います。
私が県議時代に、ベトナムの日本語学校を訪れたときに、その日本語学校の入り口に二宮尊徳翁の銅像があったのです。私、びっくりしてその先生に、「なぜ尊徳翁の銅像があるのですか」と言ったら、「守屋さん、だって、ここは日本語学校ですよ」と。「日本語を教えるのです」と。「日本語を教えるということは、ただ言葉を教えるのではなくて、日本という国を理解するために。だから、尊徳翁の銅像があるのは当たり前ではないですか」と言われて、小田原市出身の私としては、大変ある意味、これも誇らしく思ったわけでございますけれども、様々ないろいろな交流というのは、やはりこれは生まれてくるというふうに思います。そして、先ほどの御質問にもありましたように、ひょっとしたら、我々が知らないところでそういう交流が生まれることもあるでしょうし、そのきっかけがあるのかなということも考えますと、ぜひ、こうしたつながりというのは、やはり大切にしていきまして、市民の皆様とも情報を共有しながら、交流や相互理解を深めていきたいというふうに考えております。
以上です。
◆20番(加藤仁司君) 今、市長が県議会議員時代にベトナムを訪れて、尊徳翁の銅像を見つけたということのお話も、大変貴重なお話をいただきましてありがとうございました。
私は、先週の土曜日、これは神奈川新聞の中に大変興味深い記事を拝見したところであります。御承知のように台湾は、コロナ禍を早期封じ込め作戦、これで蔓延を防いでいたところなのですけれども、今年の5月ぐらいから感染が拡大してきました。あろうことか、自国領土と主張する中国政府が、ワクチン提供を妨害したということによって調達困難な状況の中に、日本がワクチンの無償提供をしたことで、台湾の方々からの感謝の声が絶えない、そういった報道がありました。さらに神奈川県では、神奈川県、そして横浜市、川崎市、鎌倉市、伊勢原市、この各市議会には日台友好議員連盟、これが存在しまして、ここで逗子市議会が、友好を深めるための連盟を発足したというような記事でありました。
また、浅羽医院が存在した前羽地区で、現在、浅羽氏の資料収集に奔走しております方からは、やはり、これは先週の土曜日に、元教育委員でありました作家の新井恵美子さんが著作をします「”約束の海”浅羽佐喜太郎物語」、この発行を知らせるというファックスが届いたところであります。これは本当にタイムリーといいますか、私も驚いているところですが、それはそれとして、本市出身や本市ゆかりの方々を中心といたしました交流、これは代表的なものといえば二宮尊徳翁や北条五代に関連する団体交流、また自治体間の交流でもあります。
私も、報徳サミットをはじめとして姉妹都市交流にも参加をしてまいりました。尊徳翁誕生の地である本市以上に、ゆかりの市町村の方の熱狂ぶり、これを身近に感じてきたところであります。偉人の顕彰は、何も生誕の地だけに求められているものではないと思っているところでありますので、ぜひとも偉人つながりの交流を図りつつ、偉人顕彰を図る施策をこれからもお願いを申し上げまして、質問を終わらせていただきます。(拍手)
2021