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恐らく2歳の頃の私。(注釈に昭和39年1月となっているため)中井町の母の実家で撮った写真。車のドアガラスにも満たない小さな身体であるが、生まれた時には3600グラムもあったという。
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小学校一年生の時。今は駐車場となったが、祖父の家である。まだ風呂は焚き木だったようで、縁の下に散乱している。この頃の写真は本当に息子と瓜二つで、「なんで俺の写真が白黒なんだ?」と不思議がっていた。
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高校生の頃。よく日本映画を一人で見に行った。高倉健、鶴田浩二に憧れ、丸刈りや角刈りにも挑戦した。この頃は「八甲田山」「聖職の碑」「二百三高地」等の硬派の映画が盛んで、2枚目の写真は「ああ野麦峠」に出演した古手川祐子のファンになり、化粧品のポスターをもらってきた時のスナップである。高校では文化祭に向けて映画研究会を創設し、自主映画(8ミリ)を製作した。
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映画「連合艦隊」に出演した。場所は茅ヶ崎の柳島海岸。空母「瑞鶴」の艦橋を再現し、航空隊、水兵、士官等にも扮した。撮影所では瑞鶴、大和撃沈の模様が収録され、全身重油まみれとなった。その時には一日15000円のバイト代が支給されて驚いた記憶がある。大学1年。俳優業を真剣に考えた時期でもある。
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平成25年の冬から平成26年の春にかけて、映画「永遠の0」が公開された。 CG技術の進化は素晴らしく、迫力ある映像と美しい空が描かれ、大ヒットした小説をどこまで凝縮して映画とするかの難題もはねのけて邦画実写作品として堂々6位の作品となった。 ちなみに小生は5回足を運んだ。 岡田准一ほか登場する軍人は皆凛々しく、敬礼も相当練習を重ねたようで緊張感が伝わってきた。7月にはDVD,ブルーレイが発売されると聞き、当然予約してある。 さて、上の写真と同じ日に撮影された18歳の私である。大東亜戦争では同じ年頃の若者が本当に戦場に行き命を落とした現実から目を背けてはならない。手前味噌ながら現代日本への憂いを感じる顔に感じないだろうか。 着用した海軍飛行服だと左袖に階級章があるのだが残念ながら隠れており確認できない。上の写真から想像すると下士官か兵の袖章のような気がする。縛帯を着けた記憶は無く、この上にカポック(救命胴衣)を着けて空母瑞鶴搭乗員の役をしたと記憶している。 映画「連合艦隊」で使われた飛行服はツナギスタイルでダブル仕立ての襟が特徴的であり、近年複製品が出回るセパレート(上下組)でシングル仕立ての服よりも恰好良いと思う。 エキストラであった我々も助監督から敬礼や姿勢について指示されたが、映画を見ると緊張感の無い顔つきで明らかにエキストラとわかってしまう場面が大いに気になる所である。 あの時代の映画を今見ると、飛行機も艦船も完全におもちゃっぽいが、「永遠の0」はその点においても実写?と見間違うほどの出来である。必見です。
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大学2年生の頃(左)。夏休みになると前半はアルバイト。後半は稼いだバイト代で友人達と長距離ツーリングに行く毎年であった。高山のユースホステルか木崎湖のユースホステルの一コマだと思う。ちなみにこの頃はGSX250L改に乗っていた。