平成23年 1月

2018年05月09日

平成23年1月17日(月)
市政報告紙の製作作業を行う。前回は言いたいことが多くて10.5ポイントの文字を使ったが、見にくいとの指摘もあり、12ポイントで作ってみる。
先日役所より提供してもらった近隣地区のコミュニティバスの写真を市政報告紙にいれるため、松田町の寄地区に向かった。寄にはここ数年行っていない。前の仕事では1ケ月に一回は訪ねていたので懐かしい。朝と夜は松田駅から寄までのバスはあるが、昼間は寄~萱沼までしか運行していないので、その間での撮影しかできない。寄の停留所までもう少しのところでバスとすれ違う。慌てて引き返して何とか1ショットを撮ったのだがバスが端に寄り過ぎてしまった。果たして使うことが出来るか難しい。
PCに入れる時間も無く、夜の会合に向かった。


平成23年1月16日(日)
小田原市内駅伝競走大会の開会式に出席した。今朝もおもいっきり寒い日である。しかしながら太陽も出てきたので、少しは暖かくなるかもしれないと思いながら会場に入った。小田原市役所2Fよりもけやき2Fホールのほうが温かく感じた。(暖房が入っているのか?)
開会式の後、毎年この協議が終わってからは地元の振興会の新年会が行われている。今回はスタートが30分ほど早くなっており、新年会開催は逆に遅くしたので時間が余ってしまったようで、次回からは1時間新年会の時間を早くすると言う。他の用事もあったので、お茶をいただき歓談した。


平成23年1月15日(土)
一向に直らないルーターとの接続の不備であるが、色々なサイトを検索してようやく修復することが出来た。この間、新しいルーターを買わなければいけないか、いやいや設定だけのミスかもしれないしと、数日間にわたっての葛藤だったが、ようやく解決することが出来た。よかったよかった。


平成23年1月14日(金)
役所に行って2件の用事を足した。夜には消防団の幹部懇親会があり、先日の出初め式で表彰された同級生や地元の消防団幹部とも話をしながら過ごした。


平成23年1月13日(木)
午前中は地元でソバを収穫した研究会主催によるソバ打ち体験会に参加した。収穫したソバは僅かだが、無農薬にて栽培したソバ粉を中心に麺作りを初めて行った。粉の量に比して水は極力少量である。各班に分かれて作り始めたが、我が班は少々水が多かったようだ。水が多いとコネやすいものの、玉(ダマ)が出来やすくいけないらしい。
なかなか難しいが、どうやら完成し、1分少々ゆでて食した。ソバの香りも十分にありとてもおいしい。
後になって判明したが、その講師の先生は、なんと高校の同級生であった。お互いに茹でるまでの間は気付かなかったが、どうやら同時に気付いたらしい。何十年振りかの再会だった。
午後からは、市政研究会で小和田哲男氏の講演があるため、中座し役所に向かった。小和田氏からは歴史的観点から捉えたまちづくりをテーマに約一時間講演を拝聴した。小田原城は全国的にも例を見ない珍しい部分を取り上げ、それをまちづくりへ生かす示唆をいただいた。まだまだ色々なお話を伺いたかったが、やはり歴史はおもしろいと感じた。一旦自宅に戻り、母に次の懇談会会場に送ってもらった。
年一回の懇談会では、二次会で「みなし児のバラード」を歌わせてもらった。


平成23年1月12日(水)
議会基本条例検討委員会を正副打ち合わせの後に開会した。既に各委員にはこの1年半かけて調査研究を行ってきた報告書(答申)内容のタタキ台を渡しており、その協議を行った。内容については各委員から様々な意見をいただき、その場で変更点を修正していよいよ次回は議長に答申をだせる態勢となった。条例についての是非はまだまだ温度差が多分にあるが、来期の議員が議論できる土壌は作ったつもりである。より深い議論を期待したい。
午後は会社来訪等を行ってから事務所に戻った。

このところ、タイガーマスク運動なる寄付が全国的に広まっているとの報道がある。小田原の施設も全国で2番目に「伊達直人」を名乗る人からランドセルが送られてきた。それがもう何百件にもなり、名前もアンパンマンや矢吹丈等様々だと聞く。タイガーマスクをリアルタイムで見てきた自分としては、今回のプレゼントの贈り主が何故「伊達直人」を名乗ったのか解るような気がする。まさしく私の中では伊達直人はヒーローである。虎の穴の掟に背き、タイガーマスクは虎の穴から送られた刺客?に次から次へと危険な闘いをしていく。何のために、誰の為に。そう、それは自身が育てられた孤児院ちびっこハウスの子供達の為であり、その中にはあの頃の自分とそっくりの健太もいる。 最強の悪役レスラーであったタイガーマスクに憧れ、強ければいいと考える健犬には自分と同じ過ちを起こしてもらいたくない、本当の強さを教えたいとの思いから、正統派レスラーに転身しつつ、子供達の成長を見守って行く伊達直人。ああ、今思ってもあの頃の漫画は強烈なメッセージを残していた。だからこそ、今も伊達直人は私の心のヒーローなのである。

ワイドショーやCMでタイガーマスクが登場する時には必ずオープニングテーマ曲が流れる。その度に自分の携帯電話を見てしまうことがしばしばある。そう、だいぶ前から私の着メロはタイガーマスクのテーマだからである。そんな事が当分は続きそうである。


平成23年1月11日(火)
昨日以上に寒い日である。早朝より恒例の出初め式があり出席する。今年は所管の委員長なので席は最前列。式典の間はコートを脱いでいたので、寒さがいつもより堪えた。出初めの後の懇親会に出席し、その後役所に向かった。本日は地元の自治会の要望書を所管に提出することになっており、自治会長、次期自治会長と共に要望書を手渡す。事務所に戻って来客1名。夕方からは自分の懇談会の案内を作成した。


平成23年1月10日()
成人式に出席。今年は駐車場が空いており、市民会館の近くに停めることが出来た。最近の若者は車に関心をあまり示さないとも聞く。酒を飲むから車で来ないのかもしれないが、式典は午前中である。やはり車離れの現象なのだろうか。昼からは市民功労賞授賞式に出席。夜は勉強会に出席した。


平成23年1月8日(土)~9日(日)
昨日まで何でもなく使えていたインターネットが使えなくなった。ルーター及びモデムの電源を入れ直してもどうにもならない。何度もチャレンジしても直らず、モデムから直接配線すると使えることから、ルーターの故障を疑っている。いくつかに分散しているドライバCDを探すが見当たらず、二日間も探しまくったが無い。この時期にインターネットが使えないのは困ったものである。

平成23年1月7日(金)
七草粥を食し、その後役所へ。帰りには印刷会社によって依頼しているリーフレットの最終チェックを行う。夜には団体の新年会に出席する。いよいよいくつかの新年会の時期を迎えた。食べ過ぎ飲み過ぎに注意しなければならない。


平成23年1月6日(木)
名簿整理及びHPの更新作業。昼前に来客あり。年会費を納めたのだが、その会費を忘れていってしまったらしく、連絡をとり持っていくことにした。曇り空の中、バイクを走らせるとかなり寒い。用を足し、自宅に戻ってすぐに雨がパラパラと落ち始めてきた。
夜になってようやくHPの更新作業を終えた。12月は何かとせわしなく記憶を辿って記したところもあるが、今年こそマメに更新していこうと誓う(毎年だが・・・。)


平成23年1月5日(水)
早朝より、初荷式出席のため、小田原魚市場に。朝早いのだが、日が明ける前なのでそんなに寒さを感じることは無い。昨日のニュースでは氷見の寒ブリが3000本も水揚げされたとの報道もあり、市場でもブリの姿が見られた。セレモニーの後、2階で刺身定食をいただく。次の青果市場の初荷式には1時間もあったが、会場に移動し、式典に出席した。事務所に戻って作業をしているところ、2件の年始挨拶者あり。


平成23年1月4日(火)
年賀状への返信作業及び名簿整理。夕方からは新年交賀会。川東地区の議員は1日に殆ど挨拶を交わしているため、川西の議員及び職員に新年のあいさつ。少々酒が入って、もう一軒寄ったのだが、帰りの電車に乗った頃から余り記憶がない。風呂にも入ったらしいが、翌朝起きた時には布団も敷かずに毛布一枚だけ掛けられていた。
今年こそ深酒に気をつけよう。


平成23年1月3日(月)
7時から始まったテレビを見て、7区を走る東海の選手を確認する。8時スタート。箱根はやはり雪が降ったようで、路面も凍っているところがありそうだ。往路タイムで時間差で飛び出した選手たち。駒大の千葉が驚異的な走りで東海の河野を抜いて行った。リアルタイムでは見れなかったが、早稲田の高野が滑ったが見事に立ち直ったという。今年大学に入った息子と一緒に応援の為バイクと原付で応援会場に向かったが、国府津駅手前で数台の車とともに止められた。先頭の選手が間もなく走って来る頃なのだろうが5分たっても来ない。おそらくこのままの状態で全選手通過状態となると見越して、エンジンを切って選手たちを見守る。東海の永田は4位キープだ。息子とともに応援旗を振って永田を声援。全選手通過後、応援会場に到着した。
郵便局に帰りがけに寄って、自宅に戻り、その後お年始で家内の実家に向かった。
家内の父も自宅介護で介護度5である。だが、歩行は少しだけは出来、椅子に座っているも、もう自ら話すことは無い。義兄家族も来て夜まで歓談した。


平成23年1月2日(日)
朝から大学駅伝のテレビにかじりつき。今年のスタートは早稲田と日大以外は団子状態が続き、果たして2区へのタスキ渡し時にどのくらい選手がバラけるかが注目された。一区全員のランナーが二区にタスキを渡した時点で、我が東海大は最下位の20位。しかしながら二区は注目の村澤だ。案の定、次から次へと他大学選手をごぼう抜きし、遂に3位にまで浮上した。続く元村も2位の日大を抜いて単独2位に。平塚中継所のタスキ渡しをテレビで見届け、応援場所である国府津にバイクで向かった。既に応援旗をもらっており、2位を走る平山を応援。全ての選手を見送って、バイクに乗って後方を走り、早川から自宅に戻った。
既にタスキは5区に移っており、やはり「山の神」である東洋の柏原に東海の早川は抜かれていた。しかし、タイムは早川も柏原に次いで良い成績を持っているので、このままの位置でゴールまでタスキを繋いでくれると確信していた。明大の大江の追い上げも激しかったが、なんとか3位で往路を終えることが出来た。
毎回、東海は往路は良いものの、復路で上位をキープできない状況が多い。果たしてどのような結果となるのだろうか。往路優勝した東洋は、往路新記録を達成した。それだけレベルも相当上がっている。
夜には少々雨が降ってきた。箱根はまさか雪ではあるまい。心配である。


平成23年1月1日
恒例の朝起き会の元朝式に出席。本日は万歳三唱の音頭をとることになっているので遅刻は出来ない。会場の机の上に原稿がありそれを覚え始めたが、その前に挨拶をする予定の議員が来ていない。このまま来られなければ急遽挨拶を依頼されるかも知れないプレシャーが一気にかかって来る。睡眠不足で半分寝ぼけているので、いきなり話すことは難しい。そんなことを考えているうちにようやく挨拶予定議員が到着したので、ホッと胸をなでおろした。
自宅に戻って、分厚い新聞に目を通す。次の予定は地元の神社の元旦祭である。原付のエンジンをかけて神社に。戻ってきてからお雑煮を頬張って、そのご川東駅伝大会会場にバイクで向かった。いつもより寒気を感じることなく会場入り。今年の元日は実に穏やかである。毎年のように、その後はニューイヤー駅伝を楽しんだ。
後は年賀状の整理作業を行った。