平成25年 7月
2018年05月09日
平成25年7月31日(火)
市政報告のチラシを8月2日に新聞折込を依頼しているため、必要部数を各新聞販売店に持って行った。今回は小田原市地域公共交通総合連携計画についての勉強会の告知もあり、地域限定での配布となる。
午後からの香川県坂出市議会視察への出席の為、少々早く議会に到着して打ち合わせをする。本日は本市議会運営委員会が視察に出ているため正副議長及び議運正副委員長も不在である。坂出市議会視察のテーマが議員定数について、議会報告会についての2件であることから議会事務局対応ということになるが、議長より議会基本条例制定の経緯、定数検討に関わる経緯等も含めて議員からの説明が必要との判断から前議長の私から説明補助を願いたいとの要請に応えたものだった。
昼過ぎに到着された坂出市議会一行の視察は、議場等を見学してから第一委員会室にて行われた。大前、若杉正副議長同席は私どもと同じだが、違うところは、坂出市の加藤副市長も同行され、説明を聞かれたことだ。小田原市議会副事務局長、坂出市議会大藤議運委員長からのご挨拶の後に事務局から資料に基づいて議員定数についての説明、その後私が補足説明を行った。
前回改選期の前年に代表者会議において検討し現状維持となった点を中心に説明を行った。また、議会基本条例検討委員会時にアンケートをとった際に議員定数減の意見があったことも含めて説明した。続いて議会報告会であるが、坂出市は既に議会基本条例を制定し、2回の報告会を行っており、8月に初めて開催する本市議会からすれば逆に坂出市の様子を伺いたいところである。ありがたい事に若杉副議長より坂出市の報告会の様子を聞かせていただいた。4会場に分かれて行われた報告会についての中身は定例会における報告で、すなわち行政提案議案に対する賛否や意見などについての報告だったようだ。その後の質疑の中でも解説いただいたが、議会報告とはいっても単に行政報告になっていないだろうかとの疑問もあるという。まさしく、我々の議論もそこにあり、今回の報告会は議会基本条例を策定したことの報告であるが、今後、何をテーマとしての報告会とするかは議論が分かれそうだ。
各委員さんから様々な質問をいただいて受け答えをしたのだが、果たしてご満足いただけただろうか。予定の3時に視察は終了し、静岡県島田市に移られるという坂出市議会議会運営委員の皆様をお送りして無事に視察受け入れは終了した。
一旦事務所に戻り、夕方は勉強会出席のために市民会館に出かけた。
平成25年7月30日(火)
午前中は厚木の病院に出かけた。4年ほど前より右足下肢静脈瘤があり、普段は痛さもなく日常生活には何の問題も無いのだが、先日テレビで特集された番組を見て、そのまま放っておかないほうが良いようで、医者にかかることにした。普段通っている診療所から紹介状をいただき総合病院で診てもらったこともあるのだが、最近はレーザー治療で即日手術も可能だという。ネットでレーザー治療可能な病院を探し診てもらうと、両足ともに静脈瘤だという。右足は蛇行が激しくレーザー治療は不可なのでストッピング手術を、左足はそのような状態ではないのでレーザー施術を施すことになった。
手術は8月後半に行われるが、一日入院する羽目に。退院日はこちらが主催している勉強会なので気になってるが、先生曰く「午前中に退院して歩けるから大丈夫」だという。ここは先生を信じよう。父も病名はわからないが40歳代に入院しているところに見舞いに行った記憶がある。そのような歳なのだ。昨年は忙しく人間ドックも受けられなかったが、手術が決定した後に身長、体重、血液検査、レントゲン等の検査を受けて病院を後にした。
夜には古澤県議会議長との懇談会に出席し、懐かしい話で楽しい一時をおくった。
平成25年7月29日(月)
昨日に引き続いて市政報告作成作業。校正を何度もしているのだが気になるところもあり再度手直しする。そして印刷。各新聞販売店から聞いた数の印刷作業に入った。数十分印刷部屋で作業を行ったが、暑くて事務所から扇風機を持ってきて回しながらの作業。今回は紙折り作業が無いので助かっている。両面の印刷をして2社に分けて梱包した。
夜はパトロール。中学校PTAの方々も参加し、駐在さんのパトカーに乗って自分のパトロール車と共に巡回した。
平成25年7月28日(日)
市政報告チラシの作成作業。
平成25年7月27日(土)
本日より公開された映画「終戦のエンペラー」を鑑賞した。最近のネット社会にあって様々な論評があることを承知しているので敢えて前評判を聞かずに鑑賞した。
結果、一度も時計を見ることなく映画が終わった。すなわち退屈しない、いやむしろ引き込まれた。映画を観終わってから、ネットで論評などを目にし、確かに時代考証への疑問は無くはない。玉音録音盤奪取を目論んだ一部将校は確かに存在し、森師団長も殺害されたが、皇居での銃撃戦及び陛下の御命を狙ったようなナレーションはデマカセであろう。ただ、我が国の天皇という存在、権威について理解できないGHQにとっては、当然最高権力者としての訴追を予定していた事は確かであり、だからこそその証拠集めに奔走したのだろう。しかしながら、本映画ではフェラーズ准将をして日本の民族性、国家観、天皇という存在が到底アメリカ人には理解出来ないものであると確信し、だからこそ戦争責任は無いと具申、その後マッカーサー自身が陛下の「御心」に触れた時に、フェラーズ准将と共に日本という国を理解したといったタッチでの描かれ方には共感した。自らの処遇を任せるという潔さはマッカーサーの期待を裏切るものであり、後に極東軍事裁判において責任回避に明け暮れた某皇帝とは違う。欲を言えば東京裁判における各戦犯の発言内容もあって欲しかった。
ハリウッド製作映画の限界点を超えたと思われる部分は、近衛文麿前首相が、「アメリカの原爆は誰が裁くのか」との発言であった。大東亜戦争敗戦から67年目の今日、あの時代に何があったのか、敗れた日本がGHQの占領下で何が出来て何が出来なかったのか、憲法改正論議が渦巻く中、避けて通ることができない真実を我々は探ったうえで考えるべきだと思った。
平成25年7月26日(金)
作成中の市政報告の記事でどうしても隣の中井町で運行しているオンデマンドバスの写真が必要となり、時間をみて撮影するつもりでいた。以前松田町の寄地区を運行していたバスや二宮町のコミュニティバスは時刻表があったので運行時間に合わせて撮影する事が出来た。中井町は予約があって動くバス(ワゴン車だが)なので運行時刻が定かでない。そこで中井町の都市部に電話してHPにあるバスの写真をお借りできないか問い合わせたところ、即座にOKの返事。更には町で撮った写真も数枚添付ファイルで送ってくれるという。担当者に感謝し、添付ファイルで送られた写真も鮮明でとても良い写真だ。心から感謝します。
新たに写真を追加し、原稿も何とかまとまった。
平成26年7月25日(木)
観光協会役員と議会代表者との懇談会に出席した。観光協会側は議会が毎年北條五代祭り参加にすることを嫌がっているような気配であったが、出席している代表者としては確かにそのような考えを持っているものも居なくは無いが、武者隊として参画することで祭りの全体像が見えないこと、武者隊パレードだけでなく、他に要請したいことがあれば遠慮なく言ってほしいというように、小田原を挙げての祭りを更に楽しくしたいという気持ちで臨んでいることを伝える場にもなったことで開催して良かったと思っている。来年は50周年を迎えることでもあり、観光協会、行政、議会、市民を挙げての祭りにして欲しいという願いである。
その後、市政研究会の役員決め、今年度視察予定についての議論を行った。夜は懇談会に出席した。
平成25年7月24日(水)
議会においてアポイント一件に対応。学校を取り巻く様々な問題について意見を取り交わした。
平成25年7月22日(月)~平成25年7月23日(火)
特記無し。
平成25年7月21日(日)
参議院選挙投票日。本日は早朝歩こう会があったのだが、昨日予定を確認していなかったため、気づいた時にはもう8時を過ぎていた。起床したのが4時半くらいだったので、その時気づいていればと後悔しても仕方ない。参加すると言った役員さんにはご迷惑をおかけした。
投票所には昼過ぎに息子と一緒に投票。娘は朝から仕事に出かけたので、家内と一緒に既に投票した。投票所から用事があり厚木へ。夜は開票速報に釘付け。予想通り与党圧勝、民主惨敗の結果に。神奈川県は選挙区最後の当選者がなかなか決まらなかったが、翌日になってからようやく決定した。当選者インタビューは当然だが、早速、敗者にもマイクが向けられ、「時間が無く、思いが浸透しなかった」等といった弁を聞くたびに、虫唾が走る。自分の政策が伝わるか否かの時間的問題は出馬時からわかることであり、敗因のすり替えに過ぎない。日本人なら潔く負けを認め、「自身の不徳の致すところ」と、例え身内の問題があったにせよ、こう述べるのが「日本人らしさ」であろう。
ともあれ、衆議院と参議院のねじれは解消した。今回の参議院選挙で憲法改正や原発問題については自民党が表だっての争点とはしなかったが、日常の議論においてその姿勢は明らかとなっている。選挙という国民の政治参加行為の際、自民党が明確に打ち出さない政策を、逆に対立党はここぞとばかりに反対!反対!と宣伝していたのではないか。国民の審判は基本的に現与党に今後の運営を託したのである。少子高齢化への対策、それはそれぞれの福祉向上というだけでは何も解決しない。少子化による今後の就業人口の減少=税収の減少、高齢化による現状福祉施策の見直しを図らない限り、ツケは全て子供達や孫達に巡ってくる。今よりも充実した福祉施策を講じられることがあれば、是非とも示すべきだ。当然、そのための前提として外交、安全保障に不安が無いことが条件ではあるが・・・。
今回当選された国会議員の方々のご活躍をお祈りする。
平成25年7月20日(土)
選挙戦最終日。本来、本日配布予定のビラも、昨日無理をして配布したため今日は事務所にて過ごす。特にアポしていた訳ではないが、2件の来訪者に対応。機能の疲れが出てきた。腰や足が痛くなっている。
平成25年7月19日(金)
朝から党ビラ配布活動を開始。天気予報は曇りだったが、とても強い日差しによって汗が止めどもなく流れる。家内と息子はグロッキー。昼過ぎに戻るとシャツと下着は絞ると垂れてくるくらいの汗まみれ。午後からは議会に用事があるので着替え、戻ってきてまた配布に出かけた。結局、自分で600枚ほどの配布となった。たった一日でこの暑さにうんざりしたのだが、候補者は17日間、我慢して活動している。ご苦労様である。
平成25年7月18日(木)
参議院議員選挙もいよいよあと3日。急遽打ち合わせを行い、それぞれ党ビラの配布作業を行うことになった。月曜日に駅頭で配布し残ったビラを預かり、更に本日のビラを入れて約800枚。これを配布しなければならない。明日決行となり、息子と家内も手伝ってくれることになった。
平成25年7月17日(水)
特記無し。
平成25年7月16日(火)
参議院選挙比例代表候補の励ます会に出席した。全国を遊説する比例代表候補は大変である。連日の猛暑に腕の皮もめくれ、日焼けもしている。安倍総理も二日間沖縄入りを果たしたようだ。多くの沖縄県民が日の丸の小旗を振って沖縄返還が果たされたのが昭和47年、今から41年前。 敗戦後のいわゆる冷戦の時代にアメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争と、アジアの防衛線ともいえる沖縄を実質占領し軍事基地を置いたことは米軍の戦略上必要だったに違いない。
しかし、その後のベトナム戦争終結、ソ連崩壊による冷戦の終結により、米軍基地の存在の有無の議論が沸き起こり、能天気な時の総理発言などで混乱しているようにしか見えない沖縄であり、また中国の強硬な外交及び軍事挑発にさらされている我が国において日米同盟をこれ以上こじらせたくない状況の中にあって、安倍総理がよく沖縄入りをしたかと喝采せずにいられない。
雑誌その他でも沖縄県人の本音はマスコミや一部新聞が騒いでいるものとはかけ離れているとも伝え聞く。出来もしない事を言い、挙句の果てには党職も辞し、一般人だからと外国に行って余計な事をしゃべり国益を損なう御仁を総理にしてしまった我々は本当に大いに反省しなければなるまい。
平成25年7月15日(月)
今日は海の日である。もともとは明治天皇が東北地方巡幸された際、初めて乗船され横浜にご到着された日を祝い7月20日を海の記念日としたことに由来しているとの事である。何度も記すが、東京五輪開催日を体育の日としたことや、この海の日は特定の日付こそが記念日であり、ハッピーマンデーか何か知らないが、往々にして変えてはいけないと思う。せめてもの抵抗として昼過ぎに国旗を掲げた。
本日は参議院選挙活動として党ビラの配布が小田原駅前で予定されている。昨日から腰痛らしき感じがあるが、出張中の遊説を同僚議員に任せた責任もあり、参加することにした。3連休最終日ということもあり、東西自由通路は人でごった返している。小田原もまだまだ捨てたもんじゃないなと独り言を呟きながら配布を始める。しかし、なかなかチラシを受け取ってくれない。中には、「県外だから」とか、「観光客です」と言って受け取ってくれない方々も多かった。持っている党ビラは安倍総理と小泉青年局長との会談のチラシなんだけどなあ?
本日は小田原市民会館での催し物があるようで、そちらに向かい路上での配布。こちらの方がよく受け取ってくれた。駐車場の場所を聞かれたり、喫茶店やコンビニの場所を聞かれたりと、スタッフではないが丁寧に教えてあげた。
以前から指摘しているが、駐車場電光掲示板が無い等、初めてきた人には不親切ではなかろうか。観光都市を謳うには、現状の改善しなければならないことがたくさんあるだろうし、その議論を今後も重ねていきたいと思う。
平成25年7月14日(日)
本日は地元の白髭神社の小祭があり、朝の神事に出席した。
平成25年7月13日(土)
疲れはそれほど感じないものの、少々熱っぽい。昨日一日が堪えたのだろう。鞄の整理などして過ごす。夕方は自治会夏祭りの防犯パトロールに参加。会場となっている中村原公園、神社境内を巡回した。
平成25年7月12日(金)
朝4時に目が覚め、東の洋上に目をやるとちょうど日の出であった。甲板に上がる元気もない。二度寝、三度寝をしながら朝食を7時にとる。あと数時間、デッキに上がるとちょうど福島第一原発及び第二原発が見える。数人がカメラを持って甲板に上がっている。誰もが何とも言えない気分であることは間違いない。
午後2時。大洗港に到着し、出発。本州はうだるような暑さだ。常磐道を快調に走っていると首都高及び外環道、圏央道の渋滞が表示されている。気温の上昇により頭もふらふらしている中、渋滞は避けたい。アスファルトも相当溶けているようでヌメッたい感覚だ。途中、バーストして砕けたタイヤも確認できる。三郷の渋滞を避け、外環道に入るが、草加からの渋滞も激しくなってきた。外環道を下り、川口方面に向かったところ、ナビは外環道に入るルートを示し、逆らうと今度は都内の首都高を支持する。こうなったら日没間近のお天道様に向かえば西進すると信じてひたすら走った。練馬の看板を目にし、そうだ、練馬なら環状8を走れば用賀から東名に乗られると思い、環状8を南下し、ようやく東名に乗り帰宅できた。予定では17時帰宅だったが、到着は20時となっていた。走行距離133マイル=214㎞。
平成25年7月11日(木)
昨日に引き続いて全国市議会議長会研究フォーラムの二日目。
本日は課題討議として「政務活動を考える」と題し、江藤俊昭山梨学院大学教授をコーディネーターとして斉藤佐知子函館市議会副議長、江原和明宝塚市議会前議長、鈴木弘熊本市議会副議長、コメンテーターに橋本勇弁護士が登壇された。
それぞれの議会で政務活動費額が違うこともあるが、いずれの議会でも住民監査請求及び裁判になったと聞き驚いた。そもそもコメンテーターからの意見の通り、政務活動費は議員が職務全うのための必要経費だと考え、一部市民は経費は報酬の内だと考えるという決定的な認識の違いがあることだと言える。どの議会も議会での議論を経て政務活動費の項目や使途基準を設けているが、按分もまちまちで基準はその議会によって決定されている現状からして、当問題は政務調査費が政務活動費に移行した際に議長会としての議論が必要だったとも思える。とは言え、本日出席されている熊本市は政令指定都市であり、小規模の市議会では政務活動費自体が存在していないところもあり、一概に議論しにくい状況もある。
結論的には、議員それぞれがその使途を適正に説明が出来るよう使用状況を報告していくしかないのではないか。領収証の添付は当たり前であり、それ自体遂行していない議会も以前あったが今はどうであろうか。
地方議員にとって身近な存在でもある政務活動費についてのテーマを設けていただいた議長会に敬意を表する。
フォーラム終了後、視察に向かう議員はホテルにて食事の後に各バスに乗って行ったようだ。自分は夕方のフェリーに乗らねばならないので、現地を発った。今日は雨も降っておらず、順調に元来た道を引き返し苫小牧港FTに到着した。日差しも強くなったが、気温は30度程度であり不快でもない。大洗行のバイクは10台ほど。集合時間の20分くらい前に駐車場に行ったところ、用意の出来たバイク順にフェリーに入れという。滑りやすい鉄板の上を慎重に走り出し、無事駐車。大洗まで19時間。洋上になると携帯電話もIPADも出来ない。食事、マッサージ(機械)などをして過ごす。走行距離124マイル=200km。
平成25年7月10日(水)
午後からの全国市議会議長会研究フォーラムに間に合うようにホテルを出る。朝から雨が降っており、レインスーツを着込んでの出発だ。今日の天気予報は曇りのち晴れであり、朝の雨は一時的なものだと思っていた。案の定、走行後40分ほどで雨が止んだ。途中のPAでレインスーツを脱ぎ再度ボックスにしまったのだが、暫く走行するとまた雨が降ってきた。「晴れに向かっているから」と心の中では思ったが、雨は益々強くなってきてブーツまで濡れてきた。近くのPAまで相当距離走ってレインコートを羽織った。まだ晴れるだろうと思っているので上着のみ着たのだが、またまた走行すると雨はもっと激しく降ってきたのでレインパンツも履く羽目になった。何やかんやでようやくホテル到着。チェックインはまだ出来ないので、鞄をフロントに預けて会場に向かった。
2000人を超す議員が会場に溢れている。
第8回全国市議会議長会研究フォーラムの第一日目のテーマは第一部が公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所理事長の西尾勝氏による「地方議会改革」の基調講演が行われ、第二部の「住民自治の実現と地方議会への期待」と題したパネルディスカッションには、北海道大学公共政策大学院教授の宮脇淳氏がコーディーネーターとなり、パネリストには早稲田大学公共経営大学院教授の片木淳氏、駒澤大学法学部教授の大山礼子氏、毎日新聞論説委員の人羅格氏、旭川市議会議長の三井幸雄氏が登場した。
内容については、参加した多くの議員がブログなどに掲載しており、それぞれの捉え方はあるだろうが、今回のフォーラムで面白かったのは、場内の議員がパネリストに対してヤジや賛同の拍手など、あからさまな対応があったことだ。余り他の議員が指摘していないので披露するが、片木氏の発言は直接民主主義を是とした論調であり、そのことが参加議員が大きく反応した原因だと思う。資料にはドイツの地方議会が掲載され、そこには地方議員は無報酬であり、勤労者議員のために夜間議会が開催されているなど、日本も導入すべきと言ったかどうかは録音していないので定かではないが、ドイツの例を引き合いに出しているくらいだからその傾向を持った意見であろう。さらに、住民活動を議会活動に取り組むことを考えないと議会は信用されないとまでの発言は、おそらく多くの参加者は私を含めて「引いた」に違いない。
ここで、昨年の総選挙投票日に産経新聞に掲載された佐伯啓思京大教授のコラムの一部抜粋を紹介しよう。
いうまでもなく、われわれの政治システムは、議会制民主主義である。これは「議会主義」と「民主主義」が組み合わされたもので、それからもわかるように、もともと議会主義と民主主義はイコールではない。いやそれどころか、民主主義の捉え方によっては、両者は対立さえするのである。
議会主義とは、われわれが直接に政治に参与して政治決定にかかわるのではなく、それを代表の手に委ねる、というシステムであり、言いかえれば、主権者であるわれわれは、直接にはその主権を行使しないのだ。主権者にできることは、ただ代表を選ぶことだけなのである。
これに対して、われわれが通常考える民主主義とは、主権者が直接に政治に関わることをよしとする。つまり、できるだけ、個別の政策ごとに主権者の意思が反映されるべきだという。たえず「民意」が反映されるべきなのだ。
とすれば、議会主義とこの意味での民主主義とでは考え方に大きな違いがある。議会主義とは、むしろ「民意」を直接に政治に反映させない工夫といわねばならない。どうしてか。理由は簡単だ。この現実世界は複雑で、政策立案とはそれほど容易なものではない。われわれ1人ひとりがとても関与できるものではない。だからこそ、代表を選び、彼らの討議に委ね、また、官僚という「プロ」の協力を必要とするのだ。
これが議会主義の考え方である。それはあまりに不安定でご都合主義の「民意」によって政治が不安定化することを避けようというのである。
この十数年のわが国の政治改革の流れ、そしてこの数年の世論中心型政治は、議会主義を攻撃し、「民意」による民主主義をそこに持ち込もうとするものであった。そしてそれがますます政治を不安定にしたのだ。
今日(こんにち)、議会主義がうまく機能しているか、というと確かにイエスとは言い難い。われわれの「代表」の見識を疑いたくなる局面は多い。しかし、それでは、「民意」に主導された民主政治がよかったかとなると、そういうわけではない。この風にゆらぐ案山子(かかし)のような政治的風潮にわれわれはうんざりしているのではなかろうか。
そうだとすれば、議会主義を立て直す以外になかろう。そして、議会主義とは、個々の政策それ自体よりも、「代表者」の信頼性や人物そのものを見極めるわれわれの眼力にかかっているのだ。今回の選挙によって、そろそろ安定した議会政治を取り戻せるか否かは、われわれの「人物を見る眼力」にかかっている。
なるほど、片木氏の発言とは180度違った意見であり、各議員もその自覚の基に活動しているに違いない。片木氏の発言は少々イデオロギー的要素の強い発言だっと思う。一方、大山氏の発言は、議会を客観的に捉えた中で、なるほどと頷く面もあった。例えば、住民が議会を迂回し、住民投票や直接行政に訴える事も常習化していることは、議会の姿勢にも問題があるのではないかと問うている。住民からのアイディアの活用など、まだまだ地方議会がやれるものについて示唆されたことは真摯に受け止める必要がある。会場でも、大山氏の発言には拍手が湧くほど我々の立ち位置を理解された発言が多かったからかも知れない。
人羅氏は、自身の住民投票の積極利用を求める新聞記事を資料としたことなど、姿勢は片木氏と近い。住民に身近な夜間議会の開催を提案するなど、様々な議会が夜間議会を開催したが、結局開催するにつれて傍聴者数が減っている現状を見ているのかとの疑問を持った。
三井議長は3年前に議会基本条例が制定されたことを報告されたが、反問権の行使は未だ無いという。行わないに越したことはないだろうが、我が市では条例制定後の議会で既に3回も反問権が行使されたことから、確かに議会の緊張は高まったかもしれない。(確認程度なのでまだまだだが・・・。)
いずれにしても、基調講演及び各パネラーの共通事項は、議員の顔ぶれが各階層に及んでいない。男性、高齢者、自営業者が多く、女性、青年壮年、サラリーマンが少ないという状況を変えるための法整備や選挙制度の見直しが必要との意見である。
反論させていただければ、地方議員は25歳以上であれば、誰しもが被選挙権者になれるのであり、誰も制約はしていない。もし、立候補者の中で気に入らない人がいれば、今は投票しない事しかできないが、それでは落選希望投票制度を導入した方が良いということだろうか。
皆、自分の置かれている立場の中で、立候補したい人も居るだろうし、そうでない人も居る。覚悟を決めて安定職を辞す人も居る。いろいろな人が自由に立候補できる環境にある我が国の制度を変えようとするなら、代案を出すべきだろう。機会は既に均等なのである。当選者の男女比は結果であって、立候補の際に限定する必要もないし、半数を女性にしなければならないというような制度となった場合はまさに差別では無いのか。
走行距離118マイル=約190km。
平成25年7月9日(火)
青森からフェリーで函館へ。朝のフェリーターミナルに到着と同時に雨が激しく降ってきた。しかしながら、フェリーに乗る時には雨も止んだ。函館まで4時間。函館に到着し、苫小牧に向かう。約3時間で苫小牧着。走行距離162マイル=260km。
平成25年7月8日(月)
二日目の今日は青森泊である。盛岡南より東北道で黒石ICを下りて数年前に新装なった八甲田雪中行軍記念館を見学し、青森市街へ。早々にホテルに到着した。走行距離127マイル=約204㎞。夕方に青森駅前の安方通り周辺のA-FACTORY、ねぶたの家ワ・ラッセを訪ねた。少し先には青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸もあったが、時間も遅くなったため伺うことはできなかった。A-FACTORYは外観がとてもお洒落であり、デッキでは食事をしている方々もいた。店内は農業名産物を配置したマルシェ、ファーストフード店などが一階にあり、2階はレストランと青森産りんごで作ったジュース、ワイン、ブランデーの試飲コーナーがある。1杯100円~で、分量によって値段が決められており、全品をチェックした。その後、大きな倉庫のような外観のねぶたの家ワ・ラッセに入り、一階には展示ねぶたが並び、その大きさに圧倒される。同じ1階のレストランは暗い明かりの中ではあるが青森港の風景も見られ最高の場所だ。200円の飯代と、自分の好みの海鮮を合わせた丼物も面白い。青森には何度か訪れているが、随分お洒落な街になった。やはり空間利用とその場所ならではの施設配置が必要であり、小田原駅周辺の今後の取り組みに参考にさせていただいた。
平成25年7月7日(日)
いよいよ本日より、青森視察並びに旭川市にて開催される全国議会議長会研究フォーラムに向けて出発する。本日は盛岡南までの約600Kmの距離である。8時に出発予定だったが、準備に時間がかかり8時50分の出発となってしまった。日曜日ということもあり、東名から大橋ジャンクションは順調だ。暑さもさほど感じない。が、いつものように大橋ジャンクションからのトンネル内は熱気が逃げないのか蒸し風呂のように暑い。ボーとしていたため、次のジャンクションでは東北道に行く方向を間違えそうになってしまった。東北道に入り休憩、そして次のSAでは昼食と、出発時間が遅くなった分、予定した休憩時間を減らして進む。無事に本日の宿泊場所に到着。所要時間約8時間。走行距離は380マイル=611㎞。
平成25年7月6日(土)
出発を明日に控えていたのだが、知人から懇親会の通知が来たので相模大野に行った。夜は遅くならないようにしたのだが、やはり話が弾むとそうはいかず、11時頃に帰宅することになった。
平成25年7月5日(金)
参議院選挙に向けて議員有志による会合を行った。来週行われる遊説について、事務所からの依頼事項を伝え、自分が参加できないので幹事に詳細打ち合わせをお願いした。
平成25年7月4日(木)
本日から参議院議員選挙が公示された。どの陣営も横浜での出陣式が多く、わざわざ出かけることもなく、7日に出かける支度などをして過ごす。夜は懇談会に出席した。
平成25年7月3日(水)
代表者会議が開かれた。井原議長の下で開催された初めての代表者会議である。臨時議会前から懸案になっていた農業委員会委員推薦についての相談があり、会派持ち帰りで今後検討することになった。午後からは、8月に開催される議会報告会の役割分担について、各班の打ち合わせが行われた。川東地区には議会基本条例特別委員会正副委員長、前正副議長、現議長もおり、経緯については承知しているものが多い。各人それぞれの役割分担が決められた。
平成25年7月2日(火)
夜のパトロール。一か月に3回のパトロールは実に2年ぶりだ。今までの装備のまま広報活動とパトロールを行ったが、接触が悪いのか、回転灯が時々切れる。広報装置も途切れたりして気を使いながら巡回した。異常なし。
平成25年7月1日(月)
溜まりに溜まったホームページの更新を行っているうちに会合の時間が来たことを忘れてしまった。慌てて会場に向かい遅延をお詫びする。参議院選挙もあと3日で公示される。各候補者のスケジュールも明確になり、本市にも候補者の宣伝カーが入る日程が提示された。しかしながら、その日は全国議長会研究フォーラムに向かっている日であり、同僚議員に任せないといけない。急遽幹事にメールを送り、具体策の検討日を設けてもらうことにした。