平成21年 4月
2018年05月08日
平成21年4月30日(木)
議員説明会に出席。昨年7月に市長より懸案事項の政策は、各検討委員会の報告を受けて決定するとのことだったため、ここで報告書が提出されたことを受けての説明会である。
各事業について一定の方向性を掲げていたが、財源や実現性、総合的計画性についての詳細は示されておらず、概要を聞き及んだに過ぎない。質疑も多少あったが、果たして住民は本当に耐震補強をして旧態の市民会館を当分使いたいのか?地下街再生の事業までそのままの状態で良いのか?公共公益施設は駅前の一等地に必要か?との素朴な疑問を投げずにはいられない。これからの論戦が待たれる。
平成21年4月29日()
昭和の時代は天皇誕生日の祝日であり、その後「みどりの日」を経て「昭和の日」となった。早朝は朝起き会に出かけ、演壇の機会をいただいた。今年になって未だ4ケ月しか経っていないが、「命」にかかわる事象が私の日常の中に次から次へと襲ってきた事を話し、姉の話をしながら、悲しさがこみあげて言葉にならなかった。
自宅に戻り、国旗掲揚。ゴールデンウィーク初日ではあるが、夜には先日亡くなった青木正光議員の通夜に参列した。6年間のお付き合いであったが、同じ委員会で視察にも一緒に出かけたのに、非常に残念である。ご冥福をお祈りします。
平成21年4月28日(火)
事務所にて事務作業。来客1件に対応。午後には議運があり、継続となっていた陳情は不採択の結果となったようだ。
いくつかの近隣自治体では、HPや議会だよりに議案の賛否が掲載されていることからの陳情であるが、各会派それぞれの観点で意見を出し合い、僅差での決定となったようだ。議員は賛否について何も隠す必要はないし、聞かれれば賛成した、反対した理由なりはそれなりに答えるだろう。また、継続して状況の推移を見守ったり、研究したいものもある。様々な状況や事情の中で、結果として全議員(委員)の過半数の賛同だったのか否かにより議決をするのが議会のルールである。どの議員が賛成でどの議員が反対だったかを知りたい気持ちは判らないでもない。しかし、それを多くの住民が望み、紙面を割いたり、手間をかけてまでする必要を求めているのかというと、少なくとも私と会った方々からこのような声は皆無であったことを記しておく。
平成21年4月27日(月)
早朝より、母と共に千葉に向かう。ゴールデンウィーク中は道路混雑、渋滞の可能性もあり、また月曜日ということもあって、6時には自宅を出発した。早く出てきたおかげで都内はガラガラで、順調に病院に向かうことが出来た。
今日は、小学校へ出向いて相談を行う予定となっていたが、前会長に全てをお任せしてきた。
姉の状態は小康状態といったところで、何の変化も無い。この先、どうなるのだろうか。
平成21年4月26日(日)
昼前から平和大使協議会全国中央会会長・筑波大学名誉教授を囲んでの昼食会に参加した。また、その後「家族の再生は日本の再生」と題する講演を拝聴し、「戦後あらゆる混乱が起きても、日本の土台であった家族が崩壊してなかったために我が国は今のような混乱はなかった。それが、酒鬼薔薇事件のように殺人者が自分の犯罪を人に知らしめ喜ぶような怪奇事件が次々と起こり、今や親が自らの欲望のために子供を殺す事件が多発しており、これは異常事態であり、社会が混乱している」と、家族再生こそが日本を再生することだと訴えられた。
確かに、今の社会はおかしいし、裁判員制度の創設は、到底人間社会を運営していく上で許し難く、相当な罰を受けるべき者が法の専門家によって市井の感情とはかけ離れた判決が多すぎてその信頼性すら失っている現状を踏まえて導入した一面もあると思われる。冤罪は確率の上でも起こらないとは限らないが、まず必要なのは犯罪が起きた時に疑われる立場にならないことだ。
その立場にいるには、やはり日頃の行動や態度等を自ら正していくしかない。不良や非行少年、前歴者を色眼鏡で見るなと人は言う。見たくなくても見てしまうのは人間仕方ないし、内心はそうでなくても外見で判断する人間は少なくない、いや多いと思う。
あの人が、まさかあのような犯罪を犯すとは・・・。という事件も多いが、結局な所、人は予見で判断することのほうが多いのではないのだろうか。草彅君はつまらない事件で一時容疑者と呼ばれるようになってしまったが、彼の日頃の活躍を見て「何らかのストレスがたまっていたのだろう」と寛容な人々が多いのも、彼の日頃の行動によるものかもしれない。総務大臣の「最低の人間だ」という発言は撤回したようだが、やはり言い過ぎの感がする。
人は時として予見で判断するものだ。それを踏まえて日々の行動をしていくべきだと思う。「外見だけで判断するな」と言う人はどうぞそう言い続けてください。少なくとも、「やっぱりそうだったか。そんな感じのする人だったよ」とは言われたくない。
平成21年4月25日(土)
午前中から雨が降っており、時折かなりの雨量になるとの予報ではあるが、母と叔母を乗せて千葉の姉の見舞いに行く。途中のSAでのトイレ休憩時も雨は止むことなく降り続けている。症状は同じであり、かなり厳しい状況だ。
叔母には私達姉弟は小さい頃から可愛がってもらっており、さぞ寂しいことだろう。高齢にもかかわらず、お見舞いに行っていただいて心から感謝する。
帰りは夜8時前だったので、父の見舞いに少々寄って帰ってきた。今週は病院通いの毎日のようであった。
平成21年4月24日(金)
少年補導員の総会及び懇親会に出席した。少々早く、母に役所まで送ってもらい、議会事務局、青少年課、保険課等の用事を済ませながら警察署に行き、防犯係にパトロール関係の申請を行い、総会会場に出向く。10年以上の補導員活動ということで、私ともう1名が警察署長から感謝状をいただいた。
総会の後には最後の懇親会に出席した。様々な思いが頭を過ぎるが、地域での防犯活動は引き続き行っていくので、また情報交換等ができればよいと思っている。補導員のみなさん、色々とありがとうございました。
平成21年4月23日(木)
朝は、地元での懸案事項について、行政と現地立ち入り。
昼になって、千葉に居る義兄より電話が入り、姉が意識不明の状態にあるとの電話が入った。先週、入院をしていたが、20日に一時退院するとは聞いていたが、自宅に戻り、まだ数日しか経っていないのに突然そのような状態になったので救急車で運ばれたらしい。知らせを受けた母も動揺は隠しきれず、おたおたしている。
先週、「退院する前に一度病院に行ってこよう。来週になると用事もあってなかなか行けないから」と母に何度か言っていたが、姉が「来なくていいと言っているから」と拒否してたのは不思議でならなかった。
本日は、育成会総会が開催されることになっており、資料も一昨日に印刷し終わっており、受付簿、事務用品等、その他の準備も出来ていた。
「今日は無理だよ」と母に言ってみたものの、娘の病状が気にならない親はいないし、夕方の総会は、役員の方々に託すことにして電話で会長をはじめ数人に依頼した。荷物は会長に、パワーポイントでの発表内容は、PCの取り扱いに詳しい役員にお願いした。後で伺ったが、いくつかの質問が出たものの、全て前向きな質問をいただき、無事に終了したらしい。ご迷惑をおかけしました。
母を車に乗せて、成田空港に近い病院に行く。呼吸器を取り付けた姉は痛々しい姿で横たわっている。
数日前には電話をもらい、数分だが久しぶりに話したのだが・・。安静状態の集中治療室で姉に呼び掛ける母の声だけが響き、悲しくなった。大丈夫。病状が良くなることを信じるしかない。義兄は数日仕事を休むことになっていたので、後はお任せすることにして病院を出た。
平成21年4月22日(水)
建設経済常任委員会を開催した。本日で委員長任期最後の委員会になる予定である。当初予定していた報告事項は1件だったが、その後、委員会所管において、事故の発生や執行段階で市民生活に影響を及ぼす件などが生じたことから、この委員会で報告してもらうことにした。
各報告において、委員から様々な角度での質疑もあり、やはり報告事追加していて良かったと思った。最後に正副委員長退任のあいさつを行い、おそらく当委員会では、そのままだと様々な議論が展開されたであろうお城通り再開発事業については、加藤市長の誕生で検討委員会から出された結果を踏まえて行政の政策提案をするという状況となったことがあるが、秋に行った視察の中で、日本国中が関心の持つ香川県高松市丸亀町商店街はとても印象に残り、本会議でも当委員から視察内容についても触れていただいたことなどに触れ、委員会運営に大変な協力をいただいたことに感謝して御礼の挨拶をさせていただいた。
午後は、事務所に戻って、育成会総会の準備を行う。
平成21年4月21日(火)
午前中は代表者会議を傍聴する。
午後は、事務所にある印刷機を使って育成会資料の印刷。総合計13枚、役員だけの印刷資料も含めると、計500枚近くの紙を16種類に分けての印刷作業となるため、一人で考えながら行うほうが効率が良い。印刷スピードは速いのであるが、マスター紙排出機構が故障しているため、一つづつ印刷を終えるたびに手動で取り換えなければならず、効率が悪いが一気に印刷を終了した。終われば時計は11時を回ってしまっていた。
平成21年4月20日(月)
朝一番に建設経済常任委員会の正副委員長の打合せ。必要資料の確認及び所管より内容の説明をもらって委員会に挑むことになる。その後、厚生文教常任委員会が開かれると思ったが、午後から開催することを知った。午後からは用事を持っていたので委員会資料を同僚議員にお願いし、役所を出た。
夜には地域の件について会合を事務所でもった。
平成21年4月19日(日)
今日もすこぶる天気が良い。軽く1時間ほどバイクに乗って風にあたる。戻ってきてからは、自宅の庭に放置してあるフェンスの片付け作業を行う。鉄のパイプも錆びだらけになっているが、燃せないゴミの処理のため数十センチづつグラインダーで切断してゆく。45リットルの袋いっぱいに詰め込むが、重くて仕方ない。汗をかきながらようやく終了した。
昨日に引き続いて政務調査費をまとめる。領収書を貼り付けていたが糊の消費が早くて終わってしまった。
平成21年4月18日(土)
朝から母から桜の木の剪定を頼まれた。家の南側は庭なのだが、今の家を普請した際に植木を適当に配置したものだから、二十年ほど経った今は樹木が不揃いに生い茂ったジャングル状態である。今年の役目を終えた桜も殆ど散っており、かなり太い枝を切り落とすのだが通販で買った小型チェーンソー付き高枝切りが活躍する。しかしながら、カタログでは女性がいとも簡単に切っている写真なのだが、相当重い。自分でも大変なくらいだ。鋏式に比べればすこぶる重宝なのだが、あまり長時間は出来ない。
汗まみれの中、来客1件に対応。
平成21年4月17日(金)
育成会書類の整理。次期期会長の仕事先にお邪魔して、先の会合で手直しした資料の確認作業を行った。娘が休みなのでナビの調子が悪いので見てくれと言う。自車の位置と通過している道路のズレについては、数時間乗って調整されるらしいがうまく機能していない。おまけに進行方向を逆走しているようになっていることから、どうやら配線の間違いのようだ。明日車検に出すことになっており、車検が上がったらもう一度配線を確認してみよう。夜は知人との懇談会に出席した。
平成21年4月16日(木)
朝のパトロール時に今晩使用予定のプロジェクターが借りてあるかを確認し、「こゆるぎ」を訪ねる。昼は1件のアポイントに対応。夜は育成会定例会で総会資料を検討したのだが、初歩的な印刷ミス等も見つかり、やはり確認作業は数人で行うべきだと痛感した。
平成21年4月15日(水)
二宮神社例大祭に出席。今年は中国や日本各地から大勢の方々が見えられ、国会議員2名。そのうちの一人は、前栃木県知事で現在衆議院議員の福田代議士。他に榛村大日本報徳社社長(前掛川市長)も来られた。神事から直会まで2時間半ほどかかり、その後直ぐに役所所管との打合せがあったため、中座した。
夜には「足柄下の教育を考える会」に出席。久しく会合を行っていなかったが、教育基本法改正に伴う学習指導要領の徹底が各教育委員会できちんとなされているか、これから検証することにする。
平成21年4月14日(火)
朝から小雨が降っている。時折強い風も吹きつけ、予定していた2市8町議員パークゴルフ大会は中止となり、懇親会のみ行われた。日頃の運動不足を少しでも解消するために楽しみにしていたのだが、残念である。各市町議員と歓談したが、いつ行われるかわからない衆院選や合併の話題に触れることも無く、日常的な会話しかしなった。
帰宅後、育成会総会前の定例会資料づくりを行う。総会資料と同じ資料を会員分作らねばならず、コピーはフル稼働。夜遅くに何とか終了し、明後日の定例会には間に合うこととなった。
平成21年4月13日(月)
朝から役所に行き用を足す。喫煙室に入ってきた職員と異動となった部署の居心地などを聞いたり、継続している事業の様子などを聞く。事務所に戻って事務作業を行う。政務調査費の領収証貼り付け作業も未だ終わっていないし、このところ地元の各総会においていただいた資料もそのままの状態で整理が必要である。
事務所のPCのインターネットの初期画面はYahoo!にしてある。必ずその中のニュースを見るのだが、最近の事件で気になったものが一つ。両親とともに来店しパチンコ店にいた男児が女児を乗せた台車を押して遊んでいたところ、台車が道路に出てしまい女児が事故にあい死亡する事件で、地裁では店側の過失を却下していたものの高裁では店側の責任を認めた判決が出たというものだ。
店側が幼児同伴の入店を許していることと面倒をみると伝えていたことなどから過失を認めたらしいが、そもそも論として考えると腑に落ちない。交通事故の加害者となった運転手の過失を50%というのも運転手には気の毒だが、ここは報道としても詳しく伝えていないのでわからない点もあり、迂闊には判断できない。この事件の核心は、男児、女児の両親ともにパチンコ店に入店していること自体が大きな問題である。買い物等と違い、パチンコは目を離すことが出来えないものであることを誰もが知っている。子供が一緒でも同じ椅子に座って待っていることなどはあり得ないし、子供の面倒を見ていられないことは明らかである。それを承知で連れて行く神経がそもそもおかしい。店側も、このような判例を基に考えるなら、幼児入店を断るか託児所の併設を考える以外になかろう。
平成21年4月12日(日)
早朝は曇りがちだったが、だんだん陽が差してきた。午前中から昼にかけて用事が無かったので、バイクにて東名高速に入り、行くあてもなく走っていた。渋滞も無く快調に走るが、サンデードライバーだろうか、追い越し車線に入ったまま悠々と走っている。きっとバックミラーの存在すら忘れて走っているのかもしれないが、土・日になるとそのような車は確かに多く、3車線であれば真中を走って左右から追い越し、追い抜きの車が出てきて危険この故無い。何故か左車線は走りたがらないのが不思議である。
そんなことを思い走り続け、沼津IC近くになって、知人の店に寄ろうと思った。このところご無沙汰しており、商売の状況も気になったので沼津ICで下りて店に向かう。知人は蕎麦&うどんの店を経営しており、開店直後に店に入る。
未だお客さんが居なかったので色々と話をしているうちにドデカイ海老天とソバ、うどんが出てきた。昼食には未だ早い時間だったが、御馳走になることにした。25センチほどの大海老は身もふっくらとしておりとても美味い。蕎麦も固めで自分好みだ。うどんもきめ細かくつやつやしておりとても美味しい。沼津ICは今までメインだった道路が変更するらしく、これからの客足の鈍りを心配していた。たらふく御馳走になって、今来た東名を戻った。約3時間のショートツーリングだったがとても満足だ。
夜には地元の体育振興会の総会に出席。こちらも老人いこいの家で行われ、周辺道路は車両でいっぱいだった。昔と比べ、今は総会で酒が出ることなど無いので、皆車で来る。であれば、「こゆるぎ」で会合を行うべきである。来年に向けて、各団体には機会あるごとに言い続ける必要がある。
平成21年4月11日(土)
今日は天気がすこぶる良く、気温も相当上がるらしい。バイクでひとっ走りしたい気分であったが、ETC車高速1000円ポッキリの施策により、高速道路は混雑しているに違いない。良かったのか悪かったのか、経過を待たなければならないが、例えば関西圏に住む方々が東名利用で東に向かってドライブするならば、今まで浜名湖あたりまでだったが御殿場位まで遠乗りするかも知れない。そのまま箱根、小田原と進めば観光客の増加も期待される。しかしながら東京をはじめ首都圏の方々は、東名高速を利用し、今まで足を延ばしてもせいぜい御殿場位だった方は浜名湖あたりまで行くかもしれない。
圧倒的に関東首都圏の方々が多いのならば、今まで箱根に来ていた人が遠くの観光地に行くようになってトータルで観光客数はマイナスとなる恐れもあるだろう。小田原への影響はどうだろうか。
朝は、母から梅の消毒をしてほしいと頼まれ庭と玄関の梅の木の消毒作業。久しぶりの洗車。原付のリアショック交換等をし、午後からは地元の社会福祉協議会の総会に出席した。
会場である下中老人いこいの家は、高齢介護課の所管であり、社会福祉協議会の本拠地ともいえる。ただ、以前から他団体も同じく使用しているが、今度は「こゆるぎ」が完成したので、会合などは是非そちらを使ってほしいと挨拶の際に申し述べた。
今年度事業として、各地域でサロン活動を展開したいとの会長の話もあったので、この際この「いこいの家」は、高齢者に常時開放し、お茶飲み話をしてもらおうと提案した。また、現在のガスを使用しての調理場は火災の危険性もあるので、IH調理具に変更すれば、安全に運営できるとも申し述べ、これから社協や自治会、皆さんと相談して「いこいの家」の新たな利用法を話し合ってほしいと付け加えたのだが、出席者はどう思われただろうか。
平成21年4月10日()
天皇皇后両陛下のご成婚50周年を祝い、国旗を掲げた。私の両親も昨年の11月に結婚50周年を迎えたのだが、何かをした訳でもなく、そのまま時は過ぎて行ってしまった。病床の父に言葉をかけた訳でもなく、今は何を言ってもわからない状況であり、申し訳なく思っている。
午前中から、昨日の会合にて事業報告はプロジェクターを使用することで了解をいただいたことから、CDや保存ファイルからいくつかの写真を抜き出してパワーポイントの作成作業を行う。
午後からは、同僚議員と打合せ。その後、小学校に寄って昨年度事業における写真をいただきに行った。夜まで作業は続き、ようやく完了。これで、事業報告についての資料作成は終わった。
平成21年4月9日(木)
朝一番で急用のために役所に行く。そう言えば4月になって初めてである。議会事務局をはじめ、異動となった職員とも初めて挨拶を交わす。いくつかの用事をするのに、異動表を見ながらいつの間にか用事のあった職員の部署が変わっていることに気づいたりしている。職員の方々も異動した日からその部署の専門知識や継続的な仕事の経緯を聞いたりして大変だと思う。「昨日配属されたばかりなので・・・」等が通用しないので更に大変だ。どうぞ頑張ってください。
夜の育成会役員会に備えて、PCに保存してあるフォルダの整理等をしていたら、いくつも重複したフォルダがどんどん出てきた。まめに整理しないとこのような状態となる。私の事務所にて23日の育成会総会資料について役員で検討した。
平成21年4月8日(水)
昨日と同じ時刻に医者に行き、装置を外す。検査結果は後日となるが、いつもの診察では血圧は高くも無く安定している。地元の医者だと待合室で何人も地元の方々とお会いするので困るのだが仕方ない。
夜は14年お世話になった補導員の有志の方々との懇談会。私ともう一人の送別会と称しての会合を持ってもらい感謝する。店を出て同じ方面の者と電車に乗ってしまったので他の人が何処に行ったかわからないが、失礼だったかもしれない。暴飲暴食はやめようとの思いが付き合いを悪くしているかも知れないが、40後半で体を悪くした人を何人も知っているからかもしれない。夜の行動はこれからも自重していくに越したことは無い。
平成21年4月7日(火)
地元下中幼稚園の入園式に出席。昨日の小学校入学式と同様、園庭の桜が満開だ。入園式前の家族がそれぞれにビデオや写真で我が子を追っている。
入園した子供達は、毎年そうであるように落ち着かない子やじっとその成り行きを見て居る子など様々である。先生から「チューリップの歌を歌いましょう」と言われ、一緒に歌える子は4分の1程度か。幼児期に家で教えなければならない訳ではないが、果たして親たちはこの簡単な童謡を歌ってあげていないのか、素直に「綺麗だな」という感性を小さいうちから歌によって教えることも必要だろう。「入園式には「チューリップ」を歌うので、家で練習してきて下さい」と園から事前に言っておくのも良いだろう。子供もみんなで知っている歌を一緒に大声で歌い、親に聞いてもらう喜びを入学式から味わえば喜ばしいのではないかと思う。
入園式の後、かかりつけの医者に行き、24時間心電図を測る装置をつけに行った。父母が立て続けてに循環器系を患ったことから、検査をしてみる気になった。胸に装着した機器は邪魔ではあるが、特に支障はない。今日は風呂はお預けだ。
平成21年4月6日(月)
小学校の入学式典に出席した。校庭の桜も満開で、天気にも恵まれた入学式となった。下中小学校では新校長を迎え、式典前に少々歓談をした。
他の小学校はわからないが、当校では新入生を6年生が手を引いて壇上に上がり、6年生から名前を紹介してもらう。それはそれで良いのだが、気になるのは6年生が「・・さんです」と新入生の男女を問わず紹介することだ。
何年か前には、6年生がうっかり「・・君です」と新入生男子を紹介して、慌てて「・・さんです」と言い直した。別に言い直すことも無いのに、何故言い直したのかはわからない。「・・ちゃん」でも「・・君」でも「・・さん」でも良いではないか。今年の卒業式には立ち会わなかったが、何でも「さん付け」の変な呼び名は学校の七不思議の一つである。
北朝鮮のテポドン2号報道について一言。防衛に対する日本人の無知、無関心が露呈し、最前線における連絡、指揮系統も完全機能が果たされていないことが今回の事件で明るみに出た。
先入観に囚われすぎて、不測の事態を起こしたことは、先の大戦でも同様なことが起きている。しかしながら、この2日間の報道番組で「発射してどうこう言うよりも、発射させないよう交渉すべきでなかったか」などと訳のわからぬ言動をするコメンテーターもおり、為にならない発言をするくらいならコメントしないほうが良い人達もいた。残念なことだ。
平成21年4月5日(日)
朝は地元自治会の総会に出席。議事が始まる前に挨拶をさせていただいた。数日前には日曜日は雨が降るような天気予報だったが、昨日の夜に降っため今日は雨が降らないようだ。「せっかくの日曜日で天気も悪くないので花見に行きましょう。城址は馬出門も開門し、お堀端の桜も綺麗だと思いますよ。議事が円滑に進んで総会も早く終われば良いと思います。」などと余計なことを言ってしまった。
しかしながら、この時期は総会シーズンである。自分が所属している育成会もこれから総会を迎えるのだが、1時間以内で終わらせる予定である。おまけに事業報告や決算、事業計画、予算共に特別に新規の事業や変更点などを述べるだけで、全部は説明しない予定である。事業報告は事業の写真を中心にプロジェクターで写し説明をするつもりである。総会資料を一字一句話す人もいるが、見ればわかることである。育成会では、それよりも学校や駐在さんから現況報告をとして話してもらうことを主において開催するつもりである。
平成21年4月4日(土)
昨日と同じく、沼代馬場にて川東地域体育振興会の観桜会に出席した。昨日よりも少し肌寒さがあったが、たった一日経っただけで桜もかなり開花していた。会場に到着した時間は市長とほぼ同じで、それぞれ挨拶の後に懇談会に入った。小澤前市長も駆け付け、久しぶりに話をすることができた。
午後からは知人の見舞いに出かけた。2~3月は家での入院騒動もあってなかなか伺えなかった。伊勢原の東海大は人が非常に多かった。土曜日の大安だったかもしれない。
夜はバイクにETCを装着してもらうために店に行く。承知の通り車&バイクのETCへの助成制度が復活し、バイクでは15,750円もの助成となる。料金所通過の度にポケットからETCカードを出し入れし、ジッパーのない服のポケットに入れている時は常に落としていないか確認する日々ともおさらばだ。車以上にETCを普及すべき乗り物がバイクなのだと思う。装着、セットアップには2時間ほどかかり、少々の雨が降っていたが、無事に帰宅した。
平成21年4月3日(金)
地元沼代で開催された恒例の社会福祉協議会主催老人花見会に出席した。陽気は暖かく、絶好の花見日和である。沼代馬場の桜はまだ3分咲き程度のようだったが、いつもより多くの方々が出席していたようだ。
花見を終え、予てより約束だった娘のナビを取り付けた。電源をシガライターソケットに繋ぎ、GPSアンテナ自体が本体に装着してある自分のナビと違って、地デジ、ipod対応、その他オプション可能なナビであることから、簡単な作業ではなく、車速端子及びバック端子もECUより探さねばならず厄介であった。更にはカプラ、配線がゴチャゴチャして本体を入れるのに苦労しようやく完成した。
夕方には見舞い、銀行に立ち寄り事務所に戻った。
平成21年4月2日(木)
育成会資料が午前中に何とか完了し、会長宅に届けて暫く話を暫く話をした。午後になり、資料の数値の変更があり、また修正を行う。
夜には防犯パトロール。今日はドライバー2名だけだと思っていたら、もう2名の参加者があり、私の車に乗車してもらい地域内をパトロールした。このところなかなか青少年に出くわさないのだが、運動公園に4名ほどの高校生がおり、声をかけて早く帰るよう促した。
平成21年4月1日(水)
事務所で作業をしていると、父の友人が来訪した。小学校の時からの同級生でもあり長年にわたり交流してきた方々だ。昨日、父の入院を伝えたところ、早速病院にお見舞いに行っていただいたようだ。
父がその友人が来られたことを理解していたかはわからない。しかし、何を喋っているかは判らぬがずっと言葉を発していたそうだ。友人が部屋を出ると急に黙ってしまったということを聞き、きっと誰が来たかは理解しているのかなとも思った。
夜には主治医から今後の治療についての話があり、今後の介護を含めた態勢を考える必要が出てきた。
ちょうど食事時だったので、母とともに食事を与えたが、利くであろう左手に湯のみを持たせると、ゆっくりではあるが口に湯のみを持っていきすすることができた。これからは一つ一つの積み重ねで出来ることはさせてみようと思っている。厳しいのではなく、何もできなってしまう父を見るのが嫌だからかもしれない。
新年度早々プライベートな話になってしまったが、仕事と介護の両立が今後与えられた使命だと思うのである。