平成21年 12月
2018年05月08日
平成21年12月31日(木)
大晦日である。昨日は一日葬儀で時間が取れなかったので、事務所の内外を掃除したりした。午後からは買い物等に出かけ、事務所に戻ると来訪者があったようだ。今年を振り返ると、余りにも時の流れが速かったと気づく。出来事を並びたてればキリがないが、やはり国政における政権交代は今後国民が大きな代償を払わねばならないとういう事態を招いてしまうと思っている。日米関係、教育問題、景気浮揚策よりも過剰福祉政策がもたらすであろう弊害は、きっと国民に跳ね返ってくるであろう。
国防、外交が党派を超えて一体とならなければ、したたかな外国の外交策には太刀打ちできない。マスコミは依然として民主党加護に徹しているようにも見えるし、自民党もダメージを引きずりっぱなしでこのままでは立ち直りも難しい。中国の軍事をはじめ、韓国、ロシアとの領土問題、当然に北朝鮮の拉致問題等、東アジアにおける緊張が今まで以上に高まる現代未来において、ヘナヘナ外交では国が潰れてしまう。
来年は参議院選挙もあることから、国内外の周辺事態を的確に報道し、今、我が国が直面する諸問題を争点とする選挙戦となって欲しい。国民の福祉も教育も、平和な社会の中でしか成り立たないのだから。
今年は色々と御世話になりました。来年もご覧いただきますようよろしくお願いします。
昨夜は近所でたき火の不始末で消防が出動して大騒ぎであった。今夜は、歳末警戒の消防団慰労のため、各班を廻って激励した。
昨日まで使えなかったインターネットがようやく出来るようになった。何故直ったかは不明のままである。
平成21年12月30日(水)
一昨日、母の兄、すなわち伯父が亡くなり本日正午から告別式である。場所は茅ケ崎で、母の姉の伯母と従妹を秦野に迎えに行ってから式場に向かった。
伯父は数え年90歳の大往生であり、よく伯母を90CCのバイクに乗せて茅ケ崎から中井の実家までお盆や正月には必ず来ていた。当時は道路も砂利道だったが、よく来ていたものだと今更ながら感心する。
葬儀では、このところご無沙汰していた従兄弟とも会うことが出来たが、お互い年をとっても「ちゃん付け」で呼び合うところが面白い。自分は小さい頃から、伯父に戦争中の話を聞くのが好きだったので覚えているが、近衛兵だったので出兵した兄弟4人の中で最初に実家に戻ってきたとの話をよく聞かされた。既に兄二人も亡くなっているので、後は学徒出陣した伯父だけになってしまった。
とても愛嬌のあった伯父であり、とても寂しくなった。葬儀、火葬、忌中払いと一日がかりとなってしまった。家に戻る頃には陽も沈みかけており、事務所に戻って昨日と同様、繋がらないインターネットに悪戦苦闘の夜となった。
平成21年12月29日(火)
午前、午後と来客2件。役所は昨日が御用納めだったが、私企業は今日が仕事納めの所も多いようだ。
午後になって、突然インターネットが繋がらなくなった。時折このような症状が出ることもあるが、たいていの場合、モデムやルーターをコンセントから抜いて暫くして繋げると直ってしまうことが多々あるので、何度かトライしたものの繋がらない。
モデムは既に10数年使っているものなので、いよいよ故障かと思っていたのだが、ルーターを介さないでPCに?いでみるとインターネット可能な環境となったことからモデムはシロだ。次にルーターに接続している3つの配線のチェックをしたところ繋がらない。ルーターが怪しいが、購入からまだ数年しか経ていないので、明日マニュアルを見て考えることにした。
夕方には、新しい就職の決まった友人を誘って就職祝いを秦野で開催。予約をとっていなくても大丈夫と思っていたが、2件は予約でいっぱい。3件目はカウンターならOKと言うことだったので即決定。友人の話によると、土曜日に厚木で予約無しで店を探したところ、15件目でようやく見つかったと聞いた。店を探しているうちに数時間も費やされてはたまったものではない。
平成21年12月28日(月)
役所は本日御用納めである。いつものように、掃除用具を持って3階の煙草部屋に行って掃除を行った。1年間のヤニをさっぱり落として新年を迎えることが出来る。掃除最中には2件の所管が来て報告を伺ったりした。事務局に今年の礼を言って役所を後にした。
自宅に戻って大掃除にもならないが、多少自宅の周りを綺麗にしようとしたのだが、壊れた箒や熊手を修理したりしているうちに日が暮れてしまった。
平成21年12月27日(日)
剪定枝が庭のあちこちに広がっていたり、鉢も所々に置いてあったりとしているため、整理する。感応式のライトも新調して、防犯に備えたり、12月の土日はもっぱら作業着を来て過ごすことが多い。
夕方からは仲間との懇談会。この一年を締めくくるように、一年間の様々な出来事を話したりして過ごした。
平成21年12月26日(土)
今年最後の夜のパトロールを行った。不審者情報が全く無くなる事はないが、この暮れになってからいくつか耳にする。このように車で巡回していても、事件の場所が決まっている訳ではないので、完全な防犯態勢を組めるのは不可能である。防犯意識を各々が高め、犯罪に巻き込まれないよう各自防衛手段を考えてもらいたいものだ。
パトロールを終え、直ぐに歳末特別警戒市長巡視会場となった場所に向かった。
平成21年12月25日(金)
既に今年も1週間を切った。様々な出来事があったが、それは晦日にまた記すことになるだろう。議員になる前にお世話になった亀井事務所が、善太郎前代議士の引退によって解散したことも私にとって大きな事件であった。自民党惨敗の総選挙の後には、再起を願って挑戦する者あり、辞する者ありと様々だろうが、秘書として身を置いたものとすれば、やはり秘書たちの今後の身の振り方が気になるところだ。それぞれが次の就職先を見つけているとは聞いているが、不況の最中、失業率も高い中では厳しいに違いない。人脈がモノを言うこの世界でもあり、拝み倒してでも何とか就職するだろうが、大変な苦労を背負うと思う。どうか、今年中に次うの就職口が決まるよう祈るだけである。
夜は、知人との会合に出席した。
平成21年12月24日(木)
骨折した左親指の診療の為に整形外科に行く。受付を済ませ、椅子に座ると同時に名を呼ばれ、医者に診てもらったところ、2週間先にまた診療に来てくれとの事で終了。その時間およそ3分だった。先日もそのスピードには驚かされたが、長い待ち時間の末に短い診療となった訳ではなく、これだけスピーディーに診療してくれる所も珍しい。大歓迎である。
巷ではクリスマスイブである。高校3年生になった息子も、何故かクリスマスプレゼントを期待している。「そんなものある訳ないじゃん」と一蹴。まだまだ子供である。それでも夜にはケーキが食卓に並んでいる。そう言えば、少し前に息子の同級生が勤めるコンビニでケーキを注文していたことを思い出した。我が家も宗教混在の家庭である。
平成21年12月23日()
天皇誕生日。国旗を掲げて奉祝する。今日は自衛隊駒門基地での年忘れ行事に呼ばれている。初めての行事であり、どのような服装で行ってよいか判らず、少々ラフな恰好で伺った。立席での会場であり、国会議員、近隣市町長や自衛隊協力会関係者も多数出席していた。静岡県の行政関係者は、何故か自衛隊に縁のある方が多いようだ。隣に居られた市議も自衛隊出身の方だったし、菊地伊豆市長は防衛大出身の元一等陸佐だという。神奈川と静岡の違いを見せつけられた思いだ。
平成21年12月22日(火)
午前中にはアポイントが入っていたが、アポ数十分前に来訪者があって対応していた所にアポの方が見えられた。物が散らかった机を片付けようとしていたのだが、来訪者があったのでそのままにしてしまったため慌てて片付ける。
ペーパーレスは理想だが、やはりアナログ世代でもあり、どうしても紙類の書類は捨てられずに溜まってしまう。資料を全てスキャナで取り込んでファイルするなんて夢のまた夢である。
平成21年12月21日(月)
知人が本を出版したと言うので、喫茶店で待ち合わせ、その足で近くの書店に声をかけてきた。既に数冊が店舗に並べられていたが、自前のポップを店長に渡し、目立つ場所への配置のお願いもしてきた。
自費出版では無いようなで、リスクはそこまで背負っていないようだが、やはり売れ行きは気になるようだ。
書店には本当に沢山の書物があり、最近は著名でありながらも廃刊に追われた月刊誌等も多いと聞く。何の気なしにいつも手にとって見ているが、著者側から見て見たのは初めてだ。多くの人に読んでもらいことは勿論だし、本のタイトルもズバリ「繁盛旅館の謎-「和の物腰」という秘策」で、数多くの老舗旅館を持つ箱根や小田原の方々に読んでもらうのはぴったりのタイトルである。著者の幾度氏は三越で長く接客業を勤められた後、箱根の強羅花壇の支配人を勤め、一躍高級旅館として繁盛させた経歴の持ち主だ。
詳しくは著書を是非読んでいただきたいが、私自身も「江戸しぐさ」を彼に教えていただいたり、とても参考になる。現在各書店で好評発売中である。
平成21年12月20日(日)
午前中より昨日買っておいた剪定枝専用シュレッダーを組み立て、早速稼働させてみた。すると、サクサクと枝を吸い込み、チップ状にしてくれるではないか。切っておいた膨大な量の葉付きの枝も全てチップ状となって排出してくれる。午後からは家内も手伝って、こんもりと放置してあった枝は太い枝を残して全て処理した。このシュレッダーはガーデニング用であり、そのチップを色々なものと混ぜて堆肥にする目的のようだが、別に堆肥を作る必要も無く、かつゴミとして処理するのも大量過ぎるので、穴を掘って埋めておいた。フル稼働のシュレッダーだったが、よく働いてくれたものだ。次は府と枝の処理を行わなければならない。
朝のテレビ番組では「子ども手当」問題が論じられていた。現在政府や民主党では所得制限を設けるか否か、その上限額を年間所得2000万円にするか、860万円上限だと、自民政権時の児童手当がその基準だったと、各所属国会議員がそれぞれの立場で議論している。
国民から預かった税金を、ただ子供がいるだけで撒き餌のように配分するなんぞ、政策でも何でもない。まさに愚策である。こんな愚策を、与党も野党も必要性についての議論は聞いたことが無い。事業仕分けが必要だろう。
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平成21年12月19日(土)
西湘地区ブルーリボンの会主催の「横田滋・早紀江ご夫妻を囲む会」に出席した。この12月10日~16日は北朝鮮人権侵害問題啓発週間であり、我が国は常にこの許し難い犯罪に対して、常に対峙し、拉致被害者を一刻でも早く奪回しなければならないのであるが、新政権となった今、党派や様々な垣根を越えて、国民総意で考えなければならない問題である。
横田ご夫妻より現状について、数々のお話しを伺ったが、30数年にもわたり娘の帰りを待ち続けているご夫妻は、我々の想像する以上に過酷で辛い半生をおくられた事だろう。お立場上、言えないだろうが、「とにかく娘を返して!」というメッセージだけで、「後は何もいらない」という心境だろう。質問がいくつかあり、家族会の今後の行動について聞かれた滋さんは、「我々は被害者家族会であって、活動団体ではない」と答えていた。まさしくその通りである。この家族の方々が一日でも早く我が子を、我が兄弟に会いたい、抱きしめたいと願う気持ちを、我々が国民として行動できる何かを、それぞれの立場で考え、行動するしかないと思う。目頭が熱くなった一時であった。
平成21年12月18日(金)
事務所にて資料整理。一般質問における資料が整理せずに積みあがっている。必要書類も、コピーにとったり、ファイルをいくつも追加したりしてもなかなか終わらない。
午後からは銀行に行ったり所用をたした。骨折の為、左手の甲に包帯を巻いているが、どうしても包帯がずれる事から、ドラッグストアで医療用サポータを購入して手にはめた。これで、シップとアルミ板をテープで固定しサポータを着ければ大丈夫である。まだ1ケ月位はこの状態のままだろうな。
夜は懇談会に出席。
平成21年12月17日(木)
議会基本条例検討委員会を打合せの後に開会した。今日は議長より報告事項2件があり、来る自治基本条例オープンスクエアに参加する議員名簿が提出された。更に、自治基本条例検討委員との懇談会も決定し、いつものようにフリートークを行った。次第があるようで無い会議であるが、各委員さんからいつも前向きな議論が出て、今日は意見の相違も見られたことから、この先はもっと熱い議論となるかもしれない。
夜は育成会の定例会。来年の研修会について協議した。
平成21年12月16日(水)
午前中は、整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらったところ、第三関節の上の第二関節の一部が欠けていることが判明。つまりは骨折である。早速、ある身の副木をあてがって包帯姿となる。これでは、当分バイクにも乗れない。いや、乗れるだろうが、クラッチ操作も無理すれば出来るだろうが、この寒空では副木で膨らんだ指を入れられるグローブが無いので、寒くてしかたないであろう。
午後に、明日の会議の打合せの為に議会に行ったが、やはり合う人みんなに骨折の説明をしなければならないので、この雑記に記した次第である。
打ち合わせの後に、一件立ち寄るところがあり、事務所に戻って来客1件。育成会研修会の準備のため、会場予約やレジュメ製作など、PC操作も左の親指がつかえなくとも何とか大丈夫だ。
ああ、明日も皆から「その指どうした?」聞かれるだろうなあ。
平成21年12月15日(火)
一般質問も今日で最終であり、本会議も最終日だ。本日は5名の議員の質問であるが、自分は朝から左手甲にサポーターを着けている。誰からも「何した?」と質問されたが、「青少年と戯れていて、・・・。」とだけ答えた。実は、昨夜、息子とふざけて格闘技技をかけようとしたところ、息子の足が自分の手に当たって、激しい痛みに襲われ、取り敢えず湿布を施していたからであった。今朝になって、腫れていたため、自宅にあったサポータを着けたが、今日は本会議であり、医者には明日行こうと思っている。
「骨にヒビが入っているんじゃないの?」「突き指かも?」と、色々と聞かれたが、レントゲンを撮ってみないと判らないが、中学時代に同じ左親指を骨折した時はかなり痛さがあったと記憶していることから、ヒビの可能性があるかもしれない。
暮れになって、少々不自由な生活を送らねばならなくなり、子供じみたことをした自分を反省した。
平成21年12月14日(月)
一般質問三日目。今日は2番目に質問を行うことになっている。昨日作成した想定答弁における再質問内容からすると、とても時間内には収まらないボリュームと気づいた。どこを削っていくかと考えたが、もう既に遅し。登壇しての質問が18分くらいとなり、残りは22分程度しかない。何回かのやり取りをしていくうちに、2つほどの再質問はカットしなければならない事態となった。
何度も質問をしているのだが、どうしても時間の配分が纏らない。常に反省点だ。
最初の質問をして、教育長の答弁が終わる直前に正午のチャイムが鳴ったので、てっきり休憩をとるものだと思っていたが、議長が休憩を宣言しないので再質問の為の手を挙げると、そのまま続行された。結局、12時40分位までかかってしまったのだが、残り時間が20分以上あるので、質問、答弁を入れれば40分位はかかってしまうのは当たり前だし、自分自身の質問は、大体が時間いっぱい使うことも判っているだろうし、運営には疑問が残った。
事務所に戻ってメールを開くと、様々団体から中国副主席の天皇陛下特例会見への抗議活動についてのメールが届いていた。やはり誰でも今回の行動はおかしいと思っている。
平成21年12月13日(日)
結婚記念日である。数えると、22年目である。その間色々なことがあったが、何も言うまい。「どっか行って食事しようか?」と家内に聞いても「金が無い」の一言。それでも連れて行って美味いものを食べさせてやろうと思っても、やはり家内の言うとおり先立つものが無い。「牛丼なら大丈夫だよ」と言ったら、尚機嫌が悪くなってしまった。
大体がこうした会話から、いつも記念日は記念日らしく過ごしたためしがない。女性の扱いはやはり苦手だ。
今日のニュースでは、官房長官が宮内庁に中国副主席の天皇陛下特例会見を申し出たが、1ケ月ルールに反することから拒否したものの、官邸からも要請があり、止むなく承諾したとの報道が一斉に流れた。民主党の小沢幹事長が多くの議員達を引き連れて中国に行ったことも含めて、その行動から天皇を政治利用しているとの批判が吹きだしている模様だ。
そこには、天皇への会見云々以上に、日本は中国の言うことを聞くのか、聞かないのかという日本の出方を見ている中国側の策略も見え隠れする。どう考えても今回の会見は鳩山政権の驕り、ルールを無視した党益優先のために天皇を利用したと考えてしまう。こんな外交をしていたら、この先、もっと不安な社会となってしまうに違いない。
平成21年12月12日(土)
事務所にて一般質問原稿の手直しをしようとしていた所に、友人より電話が入り、今夜南足柄に来いと言う。質問の用意があると断わったが、明日もあるし、久しぶりに大雄山線に揺られて目的地に向かった。いつの間にか23分かかっていた時間が21分に短縮しており、電車の速度も速く感じた。同級生3人と懐かしい会話を楽しみ、これも久々に午前様で帰宅した。
平成21年12月11日(金)
本会議一般質問二日目。今日は6名の議員の質問である。数年前に一日6人の質問はきついということになり、当時は一般質問期間が3日だったので、それから4日にした経緯がある。それが、4日にしても6人となったら、やはりもう一日延長して、6人の割り振りにならないようにすべきと思う。
トイレなどの自然現象もあるし、健康面からしてそのようにするべきだ。
最後の質問が終わると、ドッと疲れが出てきた。
夜は、懇談会があり、少々時間をずらして始まった。
平成21年12月10日(木)
朝のパトロール。今日は私だけのようだ。本会議一般質問一日目。5名の議員が質問。前田教育長は今回が初めての舞台である。自分も今回は教育に絞っての質問をする予定であり、今日の質問項目と重複する部分もあることから、漏れの無いように耳を傾けた。
平成21年12月9日(水)
午前中は役所に行って用足し。午後は一回目の質問答弁の後に行う再質問の検討作業。まだまだ資料収集の段階であり、もう少し時間が必要だ。
平成21年12月8日(火)
総務委員会に出席。今日は10月の事業仕分けに伴い、行政側から出された事業仕分けに対する市の見直し結果表を基に質疑をする場となっていたが、傍聴議員も少なく、関心が無いのか、それともこれから各議員が一般質問を行うため、あまり詳細な議論を聞いてしまうと困るのか、どちらにしても余り熱の入った議論も無かった。この結果が来年の予算委員会にどのように反映されるのかによって、あらためて議論されることだろう。
平成21年12月7日(月)
11日より娘が4月程の出張となる為、その準備作業等を手伝う。出かけるのは本会議のある日なので送ることはできない。一人暮らしをしたいと常に漏らしていた彼女だが、果たして会社の寮に入ってそれが実現して、うまくやっていけるのか・・・。嫁に出す心境かと尋ねられても、とてもそんな気とは違う。ホームシックにかかるだろうなと、そちらの方が心配だ。
平成21年12月6日(日)
今日は天気になった。先日、新聞に掲載されていたのだが、横浜の金沢文庫にて伊達政宗関係の特別展示会が開催されており、今日が最終日となっていた。家内を誘うが、風邪気味の為、一人で金沢文庫に向かう。久しぶりにバイクに乗って目的地を目指したのだが、厚木道路では白バイを3台ほど見掛けた。スピードは控えめにして目的地に到着。とは言っても、ナビを頼りに細い路地を通りながら到着したのだが、車では楽に走れる道幅でなく、バイクで正解だった。
午前中ということもあり、まだ空いていたが、甲冑をはじめ、数々の書簡等の展示があり、約1時間ほど見学する事が出来た。出る頃には観覧者も多くなり、殆どの人が駅から歩いてきたようだった。
無事に家に到着し、父の足の治療や片づけなどをして過ごした。
平成21年12月5日(土)
事務所で質問内容の整理を行う。2件の来訪者あり。夜には地元消防団の忘年会に出席。これから歳末特別警戒に当たる消防団員の方々に敬意を表する。 地元では、消防分署建設問題があるが、現在の総務省による消防広域化、そして昨日報告のあった消防無線のデジタル化について、少々話をさせてもらった。そんな話が出来るのも、総務委員会でデジタル化の経過について報告を受けていたので話が出来る。福祉にしても、都市問題にしても、委員会で様々な行政の動きが報告され、傍聴であっても少しでも聞いていたか否かで行政の動きが判ることは大事だ。
議員は、大舞台で市政報告をするよりも、身近な形で現在の市の動きや現状について質問を受けたり、情勢を話したりする機会が多い。であれば、より最新な情報をとって行かねばならない。その手っ取り早い方法が委員会の傍聴なのであり、やはり聞いておくに越したことはないのである。最近は一般傍聴席への出席者も極端に少なくなった。一時は傍聴席を増やせとの声もあったようだが、委員会開催の度に傍聴者が多く過ぎて・・・。という状況でないと難しいのではなかろうか。
平成21年12月4日(金)
総務常任委員会に出席。付託された議案の審議では、市民会館耐震工事に関して様々な質疑、議論は出るものの概ね了承するものと思っていた。しかしながら、説明では耐震工事に伴い一定期間の休館をしなければならない状況となるものの、4階にある市民活動サポートセンターは移設をして別の場所に一時開設をするという。それも、今は不明だが以前市長が直接関わっていたビルを借りると言うではないか。様々な条件の下で結果的にそのビルに決まったと言うのであれば問題はない。しかし、どこも空き店舗を抱えた商店街やビルのオーナー達なら飛びつく話かもしれない。いくつかの候補地をあたった形跡も無く、我田引水とも取られかねないやり方は良いとは言えず、より慎重に事を進めたほうがよいと意見を述べた。
更に、市民会館を利用している団体や市民の中でも、定期的に有料の部屋を利用している方も多くいるのだが、その方々には「休館の間は利用できません」「代替の場所もありません」と冷たくあしらうのだが、無料で貸しているサポートセンター利用者には、金をかけて場所を借りてあげるという、極めて不公平なやり方に異論を唱えた。
耐震工事を始める必要性もあり、採決には賛成したが、委員長報告にはしっかりと本委員会での内容も加味していただきたいと要望した。
委員会は午後4時前に終了した。一度自宅に戻って、夜の団体忘年懇談会に出席した。
平成21年12月3日(木)
朝は魚市場を視察した。この十数年間、初競り以外は見ることの無かった競りの様子を見学した。市場も相対取り引きが大部分を占めるようになり、競りは端に追いやられているようだ。朝早くから出かけたので、戻ってきてそのまま質問原稿の訂正等を行った。今日は厚生文教常任委員会であるが、そのまま作業を続行したため、午後に役所に行って用を足した。
平成21年12月2日(水)
出掛けにメールが入り、今日審査する予定の下水道補正予算並びに関連条例議案が撤回されたという。急ぎ議会に行ってみると、議運が開催される直前であり、早速傍聴席に着いた。市長から撤回の説明があったが、各議員は憤懣やるかたないようで、様々な質問で市長を追及していた。確かに行政側から出された議案が議会日程に入れられ、既に昨日委員会付託に決定した案件である。市民意見がどうであろうと、議会という市民の代表者によって判断されるべきものは一定の結論を出さなければならないのが議会の務めでもある。市長の姿勢には誰もが疑問を呈したに違いないが、提案権を持つ行政側が撤回すると判断したものを、審議したとしてもその結論は宙に浮いてしまうし、その取り扱いも難しくなってしまうのである。
議運において、当初予定していた委員会に一度諮ってからの手続きが、即本会議開会ということになった。
市長の足を議会が引っ張っていると言う人もいるが、そんなことはない。今回は市長の判断で撤回したのであり、議会は市長の意向を尊重して賛成多数でその撤回を止むを得ず了承したのである。いずれにしても、今回の説明責任を市長は市民に十分に果たさねばならない。
平成21年12月1日(火)
本会議二日目。昨日より、いやこの一週間にわたり今回計上されている下水道料金値上げに関して、各会派の動きについての情報が錯綜している。我が会派においては下水道審議会委員長を排出していることから一定の方向が見えるだろうが、他の会派の行方が気にかかる。本日は下水道事業に対して2件の質疑が出されたが、いずれも一般会計からの繰り出しを極力抑えたい姿勢が見て取れた。果たして納税者である住民は理解を示すか、アップ率と時期が適切か等の課題については、明日の常任委員会にかかっているのである。
散会後、事務所に戻って原稿打ち。しかしながら、夜には会合もあり、帰ってきてから再会しようとしたが、適度のアルコールが入っていたため断念となった。