平成22年 6月
2018年05月08日
平成22年6月30日(水)
昨日は夜に予定が入っていたため、午前中に行われた知人の葬儀に参列した。その足で、行きつけの理容店に行き、いつも以上に髪を切った。前髪が少々寂しくなったせいと、暑いのでこの際かなり短めにカットしてもらった。
午後は質問に関する原稿や資料の整理。
今日も夜に会合があり、明日は健康診断があるので少々控えめに酒を飲んで帰宅した。
平成22年6月29日(火)
6月定例会も本日で閉会となる。一般質問の前に意見書の採決や追加議案等があったのだが、議案の審査のため30分の休憩時間があった。本日は「動く市政教室」があったようで、この30分の休憩時間を傍聴者はどう見たであろうか。議会運営上仕方ない時間なのだが、気の毒なのは傍聴者である。予め休憩がある事を事前に判っていたのであれば、何らか手を打った方が良いのだが・・・。議会事務局と担当所管との打合せの必要がある。
3名の一般質問にて定例会は閉会した。
夜には懇談会に出席。今夜は誰もがサッカー観戦があるので酒も控えるのかと思ったが、そうでは無いようだ。こちらも調子に乗って飲み過ぎ、家に戻ってバタンキュー。結果を知ったのは、朝6時過ぎのニュースであった。残念!!
平成22年6月28日(月)
一般質問3日目。午前中2名。午後2名の質問が行われた。本会議終了後は議運。その後に代表者会議が開催され、会派持ち帰りの案件について協議した。その後市政研究会が開かれ、正副会長を選出し、本年度の事業について会派に相談の後、次回の研究会にて決定の運びとなりそうだ。
週末に相談を受けた2件について、各所管にお邪魔して話をした。既に定時の5時15分を回っており、駐車場には自分の車しか残っていなかった。
帰りがけに電気店に寄って買い物。今日から西湘バイパスが無料化となったことから、橘インター料金所過ぎの状態が気になったが、いつもと変わらずの交通量であった。自宅に戻り、母に夕方の親機橋周辺の状況を聞いたが、いつも通りの交通状況でこれといった渋滞も無かったようだ。今日は無料化初日であり、これからどのような変化が生じるのだろうか。
平成22年6月27日(日)
午前中は机に散乱する書類の整理ともう一つのPCの無線LAN設定に取りかかる。昼前にようやく接続が完了した。
昼には家内と共に買い物に出かける。午後はアポイントが一件と息子のPCの初期設定を行ったが、これも悪戦苦闘の末に夜にようやく設定が完了した。
当の息子は友人宅からまだ帰ってこない。本日購入したPCデスクを組み立てなければならないのに、何時になったら帰ってくるのやら。
参議院選挙公示後初の土日である。各地区の選挙模様や情勢についての新聞記事が踊る。この時期の報道も有権者の投票行動に影響が出ないとも限らない。候補者や党は新分やテレビで「優勢」と報道されるのが良いのか、悪いのか、やはり「もう一歩」という表現を望んでいるのかもしれない。
平成22年6月26日(土)
昨日渡された参議院選挙比例候補者ポスターを貼る。この数日で公営掲示板以外に比例候補者のポスターも目立ってきており、ようやく選挙らしくなってきた。
午後には出掛ける予定だったが来客があったため事務所にて対応した。
昨日質問した内容が新聞に掲載されていた。城内臨時駐車場が撤去され御用米曲輪を復元する件については、既に数ヶ月前の委員会にて報告があった件であるが、やはり本会議で取り上げ、新聞に掲載される事で多くの住民に情報が届くことは確かだ。城内臨時駐車場が無くなり、バイクの駐車場を来年1月までに確保するよう求めており、12月の質問でもう一度確かめなければならないだろう。
平成22年6月25日(金)
一般質問2日目。私の一般質問の順番は4人目だ。午前中に2名の質問、午後は3人目の後休憩を挟まずに自分の番がやってきた。広域化についての質問は自分自身も廻りくどい質問だったと反省している。言いたい事を繰り返しているうちに、自分自身も混乱してしまった。駐車場問題については、これといった山場が無かったので、質問の後に同期議員から「たんたんとし過ぎ」と指摘された。確かによく見ている。こんな事を言ってくれるのも同期ならではである。他の期の議員達も、お互いに質問への講評を述べ合う事も必要だと思う。
質問が終わり、議会基本条例検討委員会の開催。5月に会派の編制替えをしたので、委員長であった自分は辞職となり、改めての委員長選出となったのだが、再度委員長を務める事になった。無作為抽出のアンケートも続々と届いているようで、今後アンケートの集計作業を委員で行う事を確認し閉会した。
平成22年6月24日(木)
一般質問初日の30分前に、総務常任委員会を開会した。先週継続となっていた陳情について、陳情者から取り下げの申し出があったことから、議長に閉会中の継続審議としていた件を取消す必要が生じたためである。会議は一方的に委員長が発言し、当件を諮ったところ「異議なし」で終結した。
本日の各委員長報告及び陳情については、賛否が拮抗する可能性があったことから、議運にて細かい採決内容が協議されたが、やはり少々議員自身が混乱したところがあったようだ。
下水道使用料改定について、賛否双方の討論が行われたが、住民生活を営む上で下水道の維持管理事業は欠かせないし、老朽管の整備も待ったなしに行わなければならない。この事業推進にこれ以上一般会計からの繰り入れを増やしてはならないし、市債に頼る事も最小限にとどめるべきである。受益者負担の原則を維持しつつ、極力小幅な値上げ幅でお願いするしかないのである。一度は執行部が撤回した案件であるが、値上げ幅を縮小して本会議は採択となった。
続く陳情採決では、一括の討論の後に採決は各々で、しかも陳情案第○○号について・・・。という表現のため、その○○号が何の陳情なのかわからない議員もいたようだ。議運で配布された資料を見れば判るのだが、時折こんな状況が生まれる事もある。議長は大変だが、陳情○○号「・・・・を求める陳情」についての採決と言ってくれた方がわかりやすいだろう。議運で協議してもらいたいものだ。
平成22年6月23日(水)
朝から質問原稿及び答弁の推測による再質問の作成作業を行う。午後には下校時パトロールに参加。同乗者1名。もう1名の隊員は暫く待ったが連絡が無いのでそのまま出発して約1時間のパトロールを行った。異常なし。
事務所に戻ってアポイント一件に対応した。
平成22年6月22日(火)
総合計画審議会の委員として出席した。審議会委員としては初めての参加であり、これから10回にわたる委員会が週1のペースで行われる訳である。20名のメンバーから正副委員長が選任され、審議内容についての説明が行われて第一回目は終了。この先の経緯について、どこまでこの欄でお伝えできるかわからないが、12年間というスパンを「薔薇色」の世の中が待っている訳では無いだろうし、現実的な見方で捉えて行こうと思う。
午後からは議員懇談、所管との打合せ等を行う。夜は近隣地方議員との勉強会を数人で行った。
平成22年6月21日(月)
民生委員推薦会に出席。本年12月までに新たな3年任期の民生委員を各自治会より選出してもらうため、その基準についての協議を行った。全国的にも民生委員の「なりて」が不足しているようだ。現実的には若年層は殆どおらず、年齢基準ギリギリの方々の選出が多いことから、どうしても弾力的な基準についての調整が必要となるようだ。
ここで意見を言わせてもらったが、「そもそも民生委員が現在受けている仕事と言うか役割と言うか、荷が重過ぎるのではないか。福祉と言う観点で地区の社会福祉協議会をはじめ様々な福祉に関わる事業にも参加しなければならないような状況を作っていることが「なりて」を阻んでいる要因ではないか。」と。
これから各地域での選出は大変だと思うが、それぞれの役割を明確にして選任にあたって欲しいと願いたい。
平成22年6月20日(日)
質問及び答弁のシュミレーションが出来ずに悩んでいる。PCに向かって様々なサイトを拾ったり、原稿に付けたしたりしていても、時々頭の中がフリーズする。そんな時は庭に出て、木の剪定をして気分を変えたりして、また机に戻ってフリーズし、庭での剪定と、午前、午後に何度か同じ繰り返をして過ごした。
平成22年6月19日(土)
本日も午前中、午後と原稿書き。夕方には自民党の支部大会に出席。数年ぶりに呼ばれた大会であるが、出席者の殆どが知らない顔であった。国政における支持率が自民党も頭打ちのような感じもするし、支部大会もやはり元気を感じない。言いたくは無いが現状を知ってもらうには苦言を呈するしかない。
自民党が政権の座から下野し、危機に瀕している。その中から何人も飛び出して新党を結成された方々がいるが、この様相は昭和51年の新自由クラブ結成に似ている。新自由クラブはその後の選挙で大躍進を果たしたのだが、自分はまだ有権者では無かったが「何かおかしい」と思っていた。「自分の母屋が火事なのに、自分は火の粉を浴びずに対岸の火事のように振る舞う」ことが許せなかったのだ。
今の自民党から出て行った方々もそれなりの言い分はあるだろうが、やはり結束して頑張って欲しかった。古い体質を削ぎ落し、与党ボケから脱却し、結党精神に戻っての再建を期待するものである。今のままではダメだ。
夜には、先輩が事務所に来られ、12時過ぎまで話してしまった。
平成22年6月18日(金)
総務常任委員会を開いた。一昨日、昨日と6時前まで委員会が行われていたと聞いた。本日の総務委員会は所管事務調査も2件程でありボリュームも他の委員会に比べ少ない。と言うのも、3月議会から5月臨時会まで、総務は2回、他委員会は1回しか委員会を開いていないため、そのことが審議時間に影響したようだ。
14時半過ぎには委員会を終了。事務所に戻って通称合併議連の解散通知を作成し、発送の準備をした。
平成22年6月17日(木)
厚生文教常任委員会を傍聴した。午後からは山王小学校にてIC国際ボランティアグループによる外国人と小学生との交流授業を見学した。カンボジア、ベトナム、中国、韓国、ケニアからの若者5名が参加し、それぞれの国の挨拶、歌や衣装を披露した時には、まだ子供達も緊張していたようだが、用意していたカードをそれぞれに渡すと、双方の距離が一気に近づいたようだ。短時間の交流であるが、外国の方々も子供達も良い思い出となったであろう。この中の子供達も、大きくなったら外国に行って日本人として交流を是非はかってもらいたいと思いながら会場を後にした。
夜は育成会の定例会に出席した。
平成22年6月16日(水)
建設経済常任委員会を傍聴した。先の議案関連質問では、本日の議案であるフラワーガーデンの指定管理者制度への移行及び下水道使用料金改定の件が審議されるとあって、傍聴議員もそこそこいた。下水道に関しての質問が始まった時点で昼近くになっており、午後も引き続き審議が行われたと思うが、午後には父の入院している病院から呼び出しをもらっており、一旦帰宅して母と共に病院に出向いた。父はまだ治療中の身であるが3ケ月程の入院生活を送っている。社会入院ではないが、治療を行っても好転する事はなく、療養型病床群への移動を勧められた。半年余り自宅で介護してきた母も基本的には病院でお世話になっていた方が良いというのが本音だろうが、在宅介護の方向で落ち着きそうだ。
耳も不自由、寝たきり、これと言った反応がある訳ではない父の介護が大変な事は判るし、こちらもどこまで世話が出来るかわからないが、父にとってはやはり自宅が一番良いと思っているに違いない。どの家庭も悩んでいることと、自分達だけが特別ではないと思えば気が少しは軽くなる。
平成22年6月15日(火)
6月定例議会二日目。数多くの議案では無いのだが、8名の議員が質疑を行った。フラワーガーデンの指定管理者制度への移行及び下水道使用料金改定の件に質疑が集中し、明日の委員会でも相当数の質問があるに違いない。本会議は午前中で終わり、事務所に戻って質問原稿作りに入った。作業中に、今夜のパトロール員からMP3の調子が悪いので見に来てほしいとの依頼を受け、郵便局に寄った帰りに様子を見たところ、接触不良だったのか別に故障ではなかった。
夜も以前質問した内容を打ちだしたりして没頭。この2日程である程度仕上げる予定である。
作業をしながら参議院代表質問をテレビで視聴した。自民党の西田議員はかなり突っ込んだ質問をしていたが、菅首相をはじめ、閣僚もこの時間さえ済ませば乗り切れるといった姿勢がありありとしており、質問への率直な答弁がなされていないのは残念である。参議院議員席も欠席が目立ち、これでは良識の府と言うのが名ばかりだと言われても仕方あるまい。小田原市議会をはじめ、他の市町村議会でも、おそらくは1日の欠席でも、病欠の場合は除いて「公務」を休むとはとんでもないと他会派から抗議されるであろう。国会の体たらくはこんな所でも拝見出来るのである。
一連の代表質問の後は当然予算委員会を持つべきであるし、このまま民主党が逃げの姿勢を取ることに、マスコミもハッキリ批判すべきである。本当に閉会となってよいのだろうか?
平成22年6月14日(月)
午前中は地元の小学校で交通安全対策協議会に出席した。毎年通学路の安全確保のための協議で、PTAの校外安全委員会の方々が危険箇所等を調査し、その解決策を協議する内容である。いつもは色々な指摘が山ほどあるのだが、今年はその箇所が絞られ、更には過大な要請で無く、親や学校が現状の中で子供達に注意を呼び掛けると言った記述も多く感心した。見通しが悪いからカーブミラーを設置してくれ、横断しにくいからと3M程の道路にまで横断歩道を作ってくれとか、ある面無茶苦茶な要望まであった時と比べれば精査された内容であった。
午後からは質問の打合せを行い、一旦事務所に戻ってから夕方には知人より誘われた「西湘サロン」に出席した。初めての参加で戸惑ったが、異業種交流を進めており、毎回様々な企業人による講演を聞く会であり、今回は「ミウラ折り」についての説明をとても興味深く拝聴した。時あたかも本日は7年のお勤めを終え、カプセルを地球に放って自らは大気圏で燃え尽きた「ハヤブサ」のニュースが報道された日である。まさしく、宇宙でアンテナを広げたハヤブサには、ミウラ折りの技術が生かされていると聞き、その素晴らしさに感動した。数十畳位の大きさの紙も、たったA4位の大きさに折りたたむことが出来、更には広げても直ぐに畳めるといった技術は、数学によって算出したというから、これまた凄いのである。
平成22年6月13日(日)
明日は一般質問の通告要旨についての打合せがある。既に原稿を書いてから通告を考える議員もいるだろうが、こちらはいつも通告を出してから、要旨を考え、そして肉付けしていく形をとっている。それも、調子に乗ると何時間でもPCのキーをたたき続けるのだが、そうでないと1行打つのに数時間もかかってしまう。
午前中は家内に付き合ってユニクロに行ってきた。家内が欲しいものがあると言って付き合ったのだが、やはり自分の物まで買ってきてしまった。だがら家内も一緒に外出したがらないのだろう。これは前にも書いたと思うが・・・。
平成22年6月12日(土)
朝からインターネットへの接続がおもわしくなく、何度かのトライにしてようやく繋がるようになった。事務所と部屋はLANを介して繋げてあるのだが、息子のPCにゲーム関連のUSBを繋げないと言うので、その機器自体の故障が原因かと2台のPCで確認したところ、どれもインターネットが繋がらなくなってしまった。これから質問原稿作成作業に入ろうと思っていたので、文書を作るには困らないのだが、関連サイトを引っ張りながら原稿書きをする機会も多く、まずはインターネットが繋がらないと仕事にならないのである。
午前、午後、夕方までその作業はかかってしまったのである。
平成22年6月11日(金)
今日は質問通告の締め切り日である。午後には委員会の正副打合せがあるので、午前中に通告内容を決定し、午後一番に議会に赴く予定である。午前中、事務所にて通告内容を検討していたところ、事務所のドアを開けた老人があった。誰か判らずよくよく見て見ると、近所の方であった。かなりの高齢で足もともおぼつかないのだが、自転車に乗ってきており事務所で話を聞く。地元の懸案事項の進捗について伺いたかったようである。現状について話をした。
昼前に議会へ行き通告の順番伺いをしたが、一般質問は5名程と出足が悪い。続く打ち合わせの時間が迫ったので、7番目(?)ということになった。
打合せの後も他の所管から声がかかり、数件の用を足して帰宅した。いつものことながら直ぐには原稿が書けない。今回もぎりぎりまで掛ってしまうにちがいない。
夜はパトロールの当番日であったのだが忘れており、同乗者からの電話で直ぐに集合場所に行って地域を巡回した。
6月議会一般質問通告内容
1.県西地域合併検討会終結後の本市の行方について
(1)神奈川県西部広域行政協議会について
(2)合併の可能性について
2.本市観光客等への対応について
(1)駐車場誘導について
(2)EV(電気自動車)への対応について
(3)今後の駐車場対策について
平成22年6月10日(木)
本日より6月定例会。会議前に全国議長会より15年表彰をいただいた。2名の表彰者であったが、もう一人は休みだったので自分だけが議長より表彰状を受けることになった。15年はアッと言う間に経ってしまったというのが正直な感想である。
議案の説明等の後、私をはじめ5名の署名による「選択的夫婦別姓制度に慎重な審議を求める意見書」を議員提案として出し、その審議となった。提案理由の説明、質疑、委員会審査が省略され、直ぐに討論となった。1名の反対討論の後に自分は賛成討論を行い、もう1議員が反対討論をして採決に入った。先日の陳情採決では挙手であったことで賛成者確認が手間取ったことから、起立制にすると議運で申し合わせとなっていた。結果は賛成多数で採択となった。
数十分にて初日は終了。一旦自宅に戻り、午後からの会議に出席した。夕方まで会議参加者と話をして食事までいただいてしまった。
自宅に戻って、十数分で今夜の会合のレジュメを作成、コピー。そして青少年健全育成会の役員会に出席した。
平成22年6月9日(水)
午前中は所管との打合せ。午後からは事務所にて明日の討論用原稿作成、点検を行った。夕方には横浜での会合があるのだが、その前に通夜がある。家内や娘は仕事のため居ないので母に通夜会場まで送ってもらい、その後駅まで送ってもらった。母はそのまま父の病院に行った。
明日は議会の初日なので深酒は止めようと思ったのだが、どうしても調子に乗ってしまいかなり飲んでしまった。帰りは友人と一緒だったので退屈や寝過ごすことが無かったのが幸いであった。
平成22年6月8日(火)
代表者会議に出席。6月よりクールビズだが、そんなに暑くなかったのでネクタイをして参加した。議長も初めての代表会なので就任して今日までの行動を含めて挨拶した。競輪議長会会長市でもあり、本当に多忙な毎日のようだ。我が会派も私が代表に代わったので一言挨拶をして報告事項、協議事項を行った。議長の適切な進行によって短時間で協議は終了した。所詮持ち帰りになる案件も、現時点での意見を聴取するのではなく、会派に持ち帰り、会派意見として聞くスタンスは鮮やかだ。無用な時間を少しでも無くすことはとても良いことである。
昨年8月より前議長の諮問機関である議会基本条例検討委員会の継続が決定した。委員長をしている身であり、住民へのアンケート調査をこれから行う予定であったので安心したが、当委員会自体の理解は温度差があるようだ。
代表者会議の後に会派の打合せ。都合で2名が欠席となったが、委員選任の件等については一任された。あとは2日後の本会議を待つのみである。
平成22年6月7日(月)
6月定例会の準備に入る。初日には議員提案による意見書の審査がある。想定質問による答弁を考えていたが、議運で省略となったため、急遽賛成討論の作成作業を行った。言いたいことの整理がまとまらず、前日くらいに完成しそうだ。関連書物やサイトから情報集めを行った。
平成22年6月6日(日)
朝起き会に出席した。朝早かったせいか、午前中にはウトウトと居眠りしたりしてしまった。昨日より作成していた参議院選挙準備の書類が完成したので事務所に届けた。
朝からテレビでは菅新総理誕生によって民主党の支持率がVの字型に上がってきたとの報道が目白押しだ。確かに政治とカネ問題で鳩山総理、小沢幹事長は表舞台から姿を消した。ただ、それだけである。菅氏がこの問題で両者を鋭く追求している姿をみたか?迷走した普天間問題で副総理として何か行動したか?
気まぐれな支持率で喜んだり悲しんだりしなければならない政治家はマスコミ誘導にウンザリしているに違いない。
平成22年6月5日(土)
午前中来客1件に対応。物置の整理や庭の手入れなどをして過ごす。夜にはアポイントが入り、対応した。
平成22年6月4日(金)
午前中はアポイント1件に対応。知人と昼食をとり、午後からは事務所にて調査活動。その間2件の来訪者に対応した。
平成22年6月3日(木)
午前中はアポイント一件に対応。午後は資料整理。夕方より自衛隊協力会総会に出席した。アデン湾及びソマリア沖の海賊船から貨物船や客船を護衛する任務を経験された五島本部長をお招きし、護衛活動の実態について映像とともに講演いただいた。今期の任務は場合によっては銃撃戦になる可能性もあり、自衛官にとっても緊張の仕事であったに違いない。本部長のお話しに感激しながらも、海の男を感じた時間であった。
懇談会を終え、9時頃に自宅に戻ってきた。
平成22年6月2日(水)
鳩山総理辞任のニュースが飛び込んできた。迷走する事8ケ月の短命内閣となったのであるが、辞任会見では「国民が耳を傾けてくれなくなった」と信じられない発言まで飛び出した。自称宇宙人だからとフォローする人もいるようだが、一国の首相であった人の発言とは到底思えない。が、このような人物が選ばれるキッカケを作ったのも有権者であるのだ。
もう数々の出鱈目を挙げる気にもならない。これから新総理選出に向けて民主党も動き出すだろうが、果たしてコロコロと代わった代表の中からの選出になるのだろうか。いずれにしても、普天間問題をはじめとする安全保障の問題、国家の在り方、財政等、あらゆる方向性について明確に国民に示した上での代表選を展開してもらいたいものだ。
午後からは役所に行って用を足す。色々な所管と話をしているうちに、次の予定ぎりぎりの時間になってしまった。
急ぎ自宅に戻って夕方からの懇談会に出席した。
平成22年6月1日(火)
昨日の臨時会は例年以上に早く終わったのだが、やはり疲れた。早朝の会があったがお休みさせていただいた。溜まっていたHPの更新作業を午前中に。午後からは2件の来訪者に対応した。その間も数件の電話が入り、皆、議長選挙の様子について聞きたがっていた。今夜は予定も無いのでゆっくり休ませていただいた。