平成22年 10月
2018年05月08日
平成22年10月31日(日)
昨日の台風は完全に通り過ぎたのだが、低気圧がまだ残っているようで台風一過とはいかない天気である。11月開催の地元の会合の案内状を刷って、封筒に宛名貼り作業等を行った。今回は手配りをしなければいけないので、地図にて確認。明日以降、案内状を配らなければならない。
平成22年10月30日(土)
今日は台風が直撃するとの情報に振り回された。夕方から夜にかけて上陸は無いものの強風や大雨が予想されたことから夜の会合が延期となった旨のメールがきた。自宅に待機し、台風を待ったのだが、雨の量はそれほどでもなく、夕方には完全に雨は止んだのだがまだ風は強かった。
最近はまっている衆参の委員会中継のインターネットをいくつか見た。テレビでは予算委員会中心に放映される事が多いのだが、他の委員会もなかなか面白い。いや、見れば見るほど政府の腰ぬけた答弁や時間稼ぎの答弁の模様が手に取るように見えて、我が国の将来に不安を持ってしまうことから笑いごとでは済まされない。
平成22年10月29日(金)
午前中はアポイント1件。用件が終了し帰られたと同時に来客があり、午前中いっぱいまで事務所にて話を伺う。午後からは、各新聞販売店に新聞折り込み依頼を行ってきた。
平成22年10月28日(木)
朝のパトロールを行った。
朝一番で来週の日曜日に開催される議会アンケートの件での打ち合わせ。その後、会派にて地域コミュニティ検討委員会報告書についての説明を聞いた。午後からは警察署に寄り先日申請していたパトロール者の新規登録書類をいただく。次の会合が13:30からと思っていたのだが、13時からはじまっているとの連絡があり、慌てて会場に向かった。
夜もパトロール。本当は当番日ではなかったのだが、当番員全員が欠席の為、代わりにパトロールを行った。今日は一日中雨であった。
平成22年10月27日(水)
午前中は免許更新の為の講習会に出席。2時間の講習で尻が痛くなった。
午後からは清掃協会の理事会に出席し、その後同僚議員と懇談。事務所に戻ったところで来客1件。夕方は原付に乗って父の同級生に転院を報告。いろいろと話をしているうちに外は真っ暗。日が短くなったことと、寒さを感じるような季節にいつの間にかなってしまった。
平成22年10月26日(火)
市政報告の印刷を開始した。新しいと言っても中古だが印刷機はフル稼働。その後、折り込み依頼の為に新聞店に行ったが所長はあいにく留守であった。その足で駐在に年度末までのパトロール表を渡しに行く。夕方は勉強会出席のために市民会館に向かい、その後懇談会に出席した。
平成22年10月25日(月)
朝早くに娘から電話。車のエンジンがかからないという。駐車場に行き車のセルを回すと、弱々しいながらもエンジンはかかりそうだ。アクセルをいっぱいに踏み込んで再度挑戦。ガスがかぶったような感じながらもエンジンは始動出来た。午前中は市政報告の最終チェック。誤字脱字等がないか確認する。昼には診療所に行って薬を処方。
午後からは、母を連れて湯河原の病院に。父とは10日ぶりに会ったのだが、さすがに温泉につかっているせいか肌のカサカサが無くなったと母も感心していた。父も殆ど口をきく事もないのだが、今日は「ここは何処?」とか「早く」とかしっかりとした単語を話していた。顔色も良く、時に何か言いたい事があるような仕草も見せており、これからどこまで回復するのだろうか。
夕方から夜にかけてはケータイ電話がフル稼働。おかげで留守電だった人に電話も出来ずに先方から電話を再度もらってしまう始末だった。
平成22年10月24日(日)
今日は49回目の誕生日を迎えた。とは言っても、パーティーを開くわけでもなく、子供が歌を歌ってくれるわけでもない。朝は相変わらず庭の木々の剪定や片付けなどをして過ごす。午前中は来客1件に対応。
午後は地元の防災訓練が行われることから、防災訓練参加で留守宅になってる空き巣対策として2台の車両でパトロールを行った。
平成22年10月23日(土)
地元の下中小学校のバザー、ウッシッシー祭りで育成会として「昔の遊び」を子供たちに楽しんでもらう企画に参加した。昨年は雨のため中止となったのだが、軒下でベーゴマを回したところ子供達も興味をもったらしく大勢の子が集まったとも聞いていたので、とても期待していた。
下中小学校の子供達にはベーゴマという文化は昔から無かった。いや、自分達の頃は確かに無かったし、年配の方々の時代も無かったようだ。自分は高校時代にベーゴマの回し方を友人から教わった。子供時代は大山ごまである。大山ごま班とベーゴマ班、そして竹ポックリ、竹けん(剣玉の竹細工版)に係を分け、デモンストレーション。子供達はお金を持っているうちはこちらには見向きもしない。お金を使い果たして何か遊ぼうかと思った頃に、無料で遊べる「昔の遊び」コーナーにやって来るのである。
ひもの巻き方がわからない子には教えてやり、少々慣れてきた子には男投げを教えてあげたりしたのだが、デモをやり過ぎて右の人差し指にマメが出来てしまった。通算500回位やったかもしれない。
バザー終了間際にはいつの間にか6年生だらけとなり、長回しの競争等をやって大いに盛り上がっていた。
11月3日も同じ企画を行うことになっている。本日よりも長丁場だ。それまでにマメを治しておかなければならない。あー今日は疲れた。
平成22年10月22日(金)
午前中は役所に行って相談案件の処理を行う。午後は総合計画審議会の最終日。10回ほどの審議を行った審議会もやっと答申を出すまでとなった。前回協議した内容について、今回は一定の総意を示すために自分の意見は述べるものの、多数の意見で進むことは仕方ない。本日まで井原会長、石川副会長をはじめ委員の皆さんお疲れさまでした。
夜にはアポイントがあり、事務所で対応した。
平成22年10月21日(木)
代表者会議に出席。その後、平成22年度戦没者慰霊祭に出席した。
夜は育成会の定例会。今週の末には地元の防災訓練の日程が入ったため、急遽パトロールを行うことになった。新潟地震の際、柏崎市に行った教訓から、発災直後から湧いたように現れる火事場泥棒への対策として防犯パトロールの必要性があるからだ。柏崎では急遽警防団を組織したことから、こちらはブルーアイズがその任を誰から依頼されたわけではないが行うつもりである。
丁度防災訓練時には留守宅も多く、空き巣対策として巡回する意味もある。其の他今後のスケジュール等を確認して会合を終えた。
平成22年10月20日(水)
午前中は二宮町の都市整備課にアポイント。二宮町でコミュニティバスが運行されている事は知っていたが、その経緯や費用等について詳しく聞きたかったので、地元の2名とともに担当から話を聞いた。いくつかの質疑を終え、色々と勉強になった。
本市と同様、二宮町でも二宮駅~釜野間のバス減便が発表され、その対応について研究を重ね、コミュニティバス導入を決定。朝、夕は路線バス、昼はコミュニティバスが当地区を運行することとし、路線は3路線を1台のバスが定期的に走っている。町の委託費は1200万円。統一料金150円(子供・障害者は100円)であり、総額年300万円が運賃であり、それは町の収入になるため町の持ち出しは約900万円であることがわかった。現行路線バス会社に委託している事もあり、導入に際しては手続き面や許認可も一番スムースな形である。他業者の参入となれば、ハードルはかなり高い事が判った。
今後、この研究会を立ち上げるつもりである。
午後からは茅ケ崎に飛び、知人とのアポイント。本市発展のヒントを伺いながら、渋滞となっている国道134を走り戻ってきた。事務所にて相談ごとの対応等をしているうちにケータイの電池切れが発生。充電しながらいくつかの電話対応に追われた。
平成22年10月19日(火)
自動車免許証の更新をしなければならず、小田原警察署を訪ねた。3年ぶりの更新の現場は以前と変わっており、まずはATMのような機械に免許証を入れ、その後暗証番号入力をして申請書が発行され、証紙を貼り必要事項を記入して窓口に差し出すと、その後視力検査、写真撮影をして終了。
今回はブルー免許となってしまうため、講習日は後日に指定された。幸い指定日は予定が午後からであり、講習日の変更はしなくて済みそうだ。
午後は会派の打ち合わせを行い、所属議員の一人が脱会を表明したのでその手続きを行い、議会を後にした。それぞれ思うところがあっての事でもあり、詮索はせずに了解した。
夕方は知人との懇談会の為に平塚に行く。帰りはまだバスのある時間だったため、バスにて帰宅した。
平成22年10月18日(月)
20日までに提出する書類を整理する。また、市政報告の編集作業を行いながら、必要写真を取りに行く等をして終日デスクワーク。
夜には地方政治を取り巻く勉強会に出席。東海大学の講師を呼んでの勉強会であり、各市町の議員とともに各自治体の様子や議会での問題点などを皆で話し合い、有意義な一時を送る事が出来た。
平成22年10月17日(日)
朝から母より依頼されていた柿もぎをした。数十年前には4本あった柿も木も今は2本だ。赤くなっている柿も少々あるが、まだ熟していない柿も多い。この際全部取ってしまうことと、枝下ろしも必要な事から電動枝下ろし機で綺麗さっぱり枝下ろしする事が出来た。おかげでシャツは汗でびっしょり。午後からもシュレッダーで枝を裁断し、不燃物の処理や落ち葉等を集めての収集作業でまたも着替えなければならなくなった。肉体労働の一日であった。
平成22年10月16日(土)
第50回実業団・学生対抗陸上競技大会の開会式に出席した。朝から多くの若人が集い、記録を目指して全力を尽くしてほしいとの思いで参加選手たちに激励を送らせてもらった。
事務所に戻って所要を足しているところで来客1件に対応。午後からは来週早々に提出しなければならない書類の整理。夜には懇談会に出席した。
平成22年10月15日(金)
朝より自治会長が事務所に来訪。昨日要請された書面を渡す。その後、代表者会議に出席。今回は議員年金制度見直しの件で、総務省より通知があり、全国市議会議長会としての意見集約を図る事に伴う会派の意向を次回に表明してほしいとの案件である。
我が会派では、既に破綻直前の議員年金制度については「廃止」の意向を確認しているが、他会派はどのような見解だろうか。
代表者会議終了後、一旦事務所に戻り、母を乗せて湯河原に向かった。一昨日に用意していなかった器具を預ける必要があったからだが、父の顔色は温泉に入ったからか白く感じた。
夜には、本日の代表者会で協議した議員年金に対する全国市議会議長会の意見(案)のFAXが届いた。様々な議論の末、「廃止」の方向が示された事は望ましい形である。
平成22年10月14日(木)
朝のパトロールを終え、午前中は、昨日の予算特別委員会の模様を視聴した。尖閣諸島問題に対する政府の対応は本当に切れが悪く、野党の追及に対して真っ向から立ち向かえる姿勢でもなく、全く信頼出来ない。「ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏の釈放を中国政府に求めるべきでは?」との質問には、「釈放が望ましい」と答えるだけの総理。「堂々と釈放を要求する事が国益を損ねると言うのなら、どのような国益が損なうのか?」との問いにもふらりふらりの答弁である。一国の総理がそのような態度を取る事のほうが余程国益を損ねているのではなかろうか。
午後は総合計画審議会に出席。いよいよ報告書の検討に入ったのだが、前文のところから表現に疑問がありいくつかの指摘を行った。ページを追うごとに各委員より修正の案も提示され、次回に変更点を直して最終案を決定する予定である。
夜は育成会役員会に出席した。
平成22年10月13日(水)
本日は、父が入院先の病院からの転院の為、母を乗せて病院に行き、引っ越し?作業を行い、会計をして次の入院先の湯河原に向かった。ストレッチャーに乗せられた父は、自宅に戻るものと思ったかもしれず、別の病院のベッドに移されたところキョロキョロしている。自分には「何故自宅じゃないのか」と怒った表情にも見てとれ、心が痛んだ。
完全に寝たきりの状態で、3食及び下の世話、傷口の消毒等を7ケ月在宅で介護してきた母にこれ以上の負担は要求できず、仕方ないと言い聞かせる自分がいた。今までは、毎日母が夕方訪問していたが、今日からはそうも行くまい。時間をとって出来るだけ連れてこようと思うのだが・・・。
午後からはアポイントが1件あり、事務所に戻った。
明日の育成会役員会のレジュメを作成した。
平成22年10月12日(火)
午前中は会派での自治基本条例素案に対して所管より説明を受けた。いくつかの指摘を行い、更にはパブコメで出てきた意見を集約して条例案が作られる予定だ。現行の地方自治法では付議されていない事項の追加や新たに条例化しなければならない事項を整理するとともに、何故必要なのかという原点に立ち戻っての議論を行う必要があると感じている。曖昧な表現が様々な解釈ができるような条例は危険なものとなる可能性も否定できないからである。
午後からはアポイント一件に対応した。
平成22年10月11日()
午前中は箱根に足を伸ばしてみた。先週乗りまわしたバイクには虫の死骸や何かが付きっ放しとなっていたので、一回りしてから洗車した。朝早い時間ではなかったので、湯本辺りからノロノロ運転状態であった。仙石原のススキが綺麗であった。下りも渋滞が激しく、自宅に着いた時には丁度昼となっていた。
今日は家内の誕生日である。特別にプレゼントを贈るわけでもなく、夕方、一緒にケーキを買いに行った。娘は午後3時を回った頃に横浜へプレゼントを買いに行くと言って一人で車で出かけてしまった。東名の上りは当然大渋滞であり、小田厚も伊勢原付近で渋滞が始まっている。またまた夜中の帰宅になるのだろうか。
平成22年10月10日(日)
本日は地元の神社の大祭の日である。が、朝から雨が激しく降っており、駐車場も狭いので家内に送って行ってもらった。神事が終わり、宮司から予定されていたリレー式の神輿浜下り祭は中止したとの報告があった。境内を去る頃には雨も止み、歩いて帰宅した。天気は時間と共に回復し、青空まで見えるようになった。
その後、マロニエに向かい、毎年恒例の「中高生進学相談会」の開会式に出席した。毎年多くの受験生が集まり、進路相談や各学校の情報を得るための集会である。昨年より大学も参加しており、少子化が進む昨今でもあり、私学にとっても厳しい状況が窺える。
午後には来客1件に対応した。
平成22年10月9日(土)
昨日の疲れはまだ出ていない。留守中に溜まってしまった書類の整理や案内状、各郵便物などを整理した。
夜は雨の中ではあったが、パトロールを行う。明日の大祭の前の宵宮には子供達も多く参加するので、その見回りも兼ねての巡回だが、雨の為早めに切り上げたらしい。メイン通りを一通り回ってパトロールを終了した。
平成22年10月8日(金)
二日目はコ^ディネーターと5名の参加によるパネルディスカッションが行われた。はじめに共に災害を経験した宮城県栗原市長と愛知県岡崎市長の報告があり、一昨年に発生した岩手宮城内陸地震における対応と復興と同じく昨年愛知県を襲ったゲリラ豪雨の被害を基に、浸水警報システムの導入について説明を受けた。また、各パネラーからは様々な視点から防災の危機管理対策についての報告を受けてコーディネーターに一旦マイクが返ってきたところで会場を後にした。午後からは各グループに分かれての視察もあったのだが、帰宅時間が大幅に遅れるため、これは申し込んでおらず、ただ、新長田駅付近に置かれた鉄人28号はどうしても見たかったので、そちらに立寄ってから帰路についた。全高18メートルの鉄人28号がそびえ立つ公園には人がいるわけでもなかったのだが、子供のころには白黒だったものを原色で見られる機会もそう多くはないし、幼い頃に菓子箱をリモコンに仕立てて遊んでいた頃を思い出した。
平成22年10月7日(木)
第72回全国都市問題会議に出席した。会場は神戸文化ホールで収容人数は2000名超のホールである。小田原市議会からは副議長をはじめ5名と事務局1名が参加した。今回のテーマは危機管理であり、開会式の後に危機管理研究センターの中邨所長の基調講演、その後、矢田神戸市長の報告、京都大防災研究所巨大災害研究センター長の林教授、森鹿児島市長による桜島の防災対策の報告、及び、財団法人建設業技術者センターの上村常務理事の報告で一日目の会議を終了した。
特に中邨所長の話は面白く、危機管理における自助、共助、公助に対する各国民の考えの比較では、自己責任という概念を持つ世界各国では自助7、共助2、公助1の割合に対し、日本は自助1、共助2、公助7の割合である事をグラフで示された。確かに公助依存型と感じることは多くあり、だからこそ、過剰依存の住民に自助の危機管理を植え付けることが大きな課題だという。
また、神戸の震災から復興に至るまでのプロセスを紹介した神戸市長の話と共に画面には15年前の悪夢の状況が映し出され、その苦労が忍ばれた。林春男教授からは日本の首長の指揮調整機能が脆弱であると指摘し、やはり平時の指揮官が有事の指揮官に果たしてなりえるかとの問題点があぶり出された。 また、現在も噴火活動が続く桜島の防災対策を説明した鹿児島市長の話しでは、毎日地震があり、火山灰処理について、とても想像できない程大変な事態だという事を改めて知った。
平成22年10月6日(水)
本会議最終日を迎えた。付託された決算は病院事業会計とそれ以外の2案件に分けて討論、採決が行われ、決算特別委員会において不認定とされた病院事業会計は本会議においても原案に対し賛成少数で不認定の結果となった。
我が会派からは監査委員を出しており、討論の場でも申した通り、今回の件について監査委員に報告があったのが8月の終わり。平成21年度監査が終了した後の事であった。説明会の折でも内部告発があった次期、過払いという事実が判明した時点で速やかに報告をした場合には、監査期間は延びていたとしても一定のアクションがあった筈である。それを怠った行政の責任は重い事を十分反省してもらわなければならないのである。
本問題が病院内における事務的ミスが原因というのであれば、その事務処理態勢の不備があったことを早急に改善し、更には救急救命という職務に支障をきたさない状況に戻す事が先決である。
今回の問題で一番危惧するのは小田原市立病院への不信感が住民に広がってしまわないかということであり、速やかなる解決を期待するしかない。
午後からは、その過払い問題で外部監査員よりの報告会が急遽入った。
しかしながら、本日本会議終了後より明日開催される「都市問題会議」に出席するため神戸に向けて発たなければならないために、同僚に後を任せて神戸に向かった。
平成22年10月5日(火)
代表者会議に出席。定数に関する意見を各会派が持ち寄って発表した。我が会派は用意した原稿を読んだのだが、ボリュームがあり過ぎたようだ。結論としては現状維持。各会派の意見は今後市議会のHPに公開予定である。
その後、審議会委員の件、来年の予算要求について等の協議を行い、午前中に終了した。かなり時間がかかったようだ。
午後からは議運で会派より提出した「尖閣諸島海域における中国漁船領海侵犯に関する意見書案」の取り扱いが協議された。
議運の後の決算特別委員会委員長報告書の検討の後、本日会派持ち帰りとなった代表者会議の検討事項及び、議会アンケートの各会派意見の取りまとめを議題に会派の打ち合わせを行った。
平成22年10月4日(月)
朝3時起床。家にある目覚まし(携帯のアラームを含む)3台が一斉に鳴り出した。本日は実践倫理宏正会の大会が日本武道館で開催されることから、4時過ぎに自宅を出ることになっている。3時15分に役員さんに起床したと連絡。その後、役員さん運転の車に乗って集合地点に向かい、バスで出発した。
本日より東名の集中工事が実施されるが、早朝はまだ工事時間ではないので1時間ほどで日本武道館に到着した。
式典は9時前より始まり、来賓の石原伸晃自民党幹事長他2名が紹介され、石原代議士の話も大変ユーモラスであった。会長より挨拶の後、3名の登壇による話を聞き、式典は終了。バスで小田原に向かったが、やはり東名綾瀬付近で集中工事の渋滞にはまったが、予定よりも早く帰着出来た。
平成22年10月3日(日)
昨日の「丼サミット」の様子をテレビでも扱ったせいで、その盛況ぶりに喜んだのだが、あの混雑の中で並ぶのは嫌だし、駐車場も確保できるかわからないし、結局は会場を覗く事まではしなかった。
午後からの地元の福祉施設での秋祭りに顔を出し、その後小田原駅頭での自民党ビラ配り活動に参加した。
駅頭に行く前に「丼サミット」会場付近を車で様子を見てみたが、既に二の丸広場は閑散としており、市民ホール予定地でのブラスバンド演奏を見ただけだった。
街頭でのチラシ配布では、余り人も歩いておらず、少々寂しかったが、政府の弱腰外交への批判を突然渡されたマイクで演説したりして1時間を過ごした。
自宅に戻り、車検時に外した部品をバイクに取り付けたりの作業を結局は夜までかかって行った。
平成22年10月2日(土)
朝一番で朝がゆ会に出席。その後地元の幼稚園の運動会を見学し、車検が終了したバイクを取りに行く等、午前中からあわただしい一日となった。
午後は家内と共にお見合いに立ち会った。どこの誰とのお見合いか詮索されても困るので、それは内緒。それぞれの知人を紹介し合い、ころあいを見て2人に後を任せた。夫婦ともにはじめての経験であり、自分の方が緊張してしまったが、これも縁であり、うまくいけば嬉しいのだが、果たしてどうなるのか。
緊張のあまり、自宅に戻って死んだように寝ていたとは家内の言である。
平成22年10月1日(金)
決算の総括質疑が始まった。やはり今回の病院会計における宿日直手当に関する質問に集中している。各委員よりの質問が続いている最中であったが、数日前に作っておいた「尖閣諸島海域における中国漁船領海侵犯に関する意見書案」を作成し、会派議員名で議長に提出した。
昼休みには議会基本条例検討委員会の懇談を行い、全会一致で議会アンケート結果報告会を行う事を決定。日程は相談の上、早めに各委員に報告という事で懇談会は終了した。
決算委員会が再開され質問が終わり、採決になったのだが、今回は病院会計のみ切り離して採決が行われ、一般会計他の件は賛成多数で採択され、病院会計は賛成少数で否決されるに至った。