平成22年 11月

2018年05月08日

平成22年11月30日(火)
定例会2日目。本会議では各議案の質疑が行われ、閉会後急ぎ自宅に戻って県庁行きの用意をする。知事から功労者表彰を受けた。先日亡くなった相澤議員と一緒の表彰であるが、娘さんが代わりに表彰状を受け取って一緒に小田原に戻ってきた。葬儀以来、色々な話をする事も出来なかったが、車中では昔の話等もする事が出来、相澤さんも天国で笑顔で見守っていてくれたと思う。


平成22年11月29日(月)
役所に行って用事を足し、その後事務所に戻って資料整理及び事務作業を行う。夜は懇談会があるのだが、明日は県庁にて功労者表彰に臨むため、飲み過ぎないように気を付けながらも、結局は大いに飲み過ぎて帰宅した。


平成22年11月28日(日)
朝からいつものように庭木の伐採作業で汗を流した。日曜日は肉体作業の日がやたら多いこの頃である。この時期に父は毎日このような作業をしていたのだが、電動の高枝切りも使っていなかったので、一人で剪定ばさみで切っていたのである。大変な作業だったろうと、今となって思うことしきりである。


平成22年11月27日(土)
自治会のOB会の幹事を仰せつかり、今年最初の忘年会に参加した。平成3年の自治会長の集まりであるが、都合が悪い人や退会した人もあり、本日は7人の出席である。来年20周年を迎えるに当たり、それを契機に終了する予定だという。思い出話に花が咲き、当時自分は未だ議員ではなかったが、色々な話を聞かせてもらった。
更には、議会や行政の現況についての質問もあり、現役を離れても政治への関心の高さを知らされた。


平成22年11月26日(金)
総務委員会の正副打ち合わせの後、市役所の近所で開催されているチャリティーコンサートに参加した。喫茶店を貸し切ってのフルート演奏で、少々遅れて席に着いた。フルートの音は何か懐かしさを感じるものである。飛騨を題材にした曲は、学生時代にツーリングで巡った野麦峠から高山の旅を思い出した。時にはゆっくり音楽鑑賞をするのもいいものだと感じたひと時だった。


平成22年11月25日(木)
12月定例議会が開会した。開会早々、故相澤博議員の追悼演説を行った。本日は御遺族の方々をはじめ支援者の方もお見えになり、傍聴席に着かれていた。稚拙な追悼のことばだったかも知れないが、真心をこめて演説したつもりだ。議員及び議場に居られる方全員で黙祷をして相澤さんの冥福をお祈りした。
続いて、議案上程等を行い、1日目は終了。昼前には正副議長と正副委員長の懇談会。そして午後からは市民ホール及び斎場の議員説明会が行われ、市長よりホール計画の延長を正式に述べられた。いくつかの質疑があったが、この件は後の常任委員会で報告がある。かなりの時間を有しての質疑が行われる可能性があろう。


平成22年11月24日(水)
午前中は役所にて用足し。午後は事務所にて来客2件に対応。
明日から12月議会が開会する。開会早々、故相澤博議員の追悼演説を会派代表である私が行うことになっており、その演説原稿に没頭する。PCのキーをたたきながら相澤さんの顔が浮かんできて、時折打つ手が止まる。
立派な原稿は書けないが、今までの思いを込めて明日は臨むつもりだ。

昨日の北朝鮮による砲撃で韓国兵士2名が死亡したという。先般の北朝鮮魚雷で沈没した哨戒艦の犠牲者46名に次いでの死者に韓国政府、韓国国民の怒りは戦争に向かうのか、世界各国、国連の動向が引き続き気になるものである。


平成22年11月23日(
本日の午後、北朝鮮による韓国の島への砲撃の報が飛び込んできた。テレビでは相次いで現地の状況を伝えているが、まさに北朝鮮の傍若無人ぶりに怒りを覚える。休戦状態となっている韓国と北朝鮮の関係が一触即発の状態となった時に、我が国はどのような態度を取って行くのか、アメリカはどうか、中国はどうするのか、今後の対応が気になる。尖閣における中国漁船の動向、今回の北朝鮮の蛮行は、普天間問題による日米関係の悪化や日韓、韓米関係と関係はないのかどうか。これから様々な角度の検証がなされるであろう。少なくとも、弱腰外交、先を見ないでふらついている民主政権と縁がないとは言えないのではなかろうか。


平成22年11月22日(月)
議会に陳情が出されたことにより、総務委員会の正副が陳情者より陳情趣旨の聞き取りを行った。その後、事務所に戻って所用を足した。午後からは、家内とともにパーティーに出かけた。娘の勤めるホテルで家族を招いてのパーティーは初めてである。約300人の社員家族が揃い、楽しいひと時をおくらせてもらった。上司の方々とも会い、日頃のお礼も言えることが出来た。私と家内が結婚式を挙げたのもこのホテルであり、結婚式以来、実に21年ぶりに宿泊もする事が出来た。


平成22年11月21日(日)
伯父の1周忌法要に出席した。寺院は中井町であり、母の実家のすぐ近くである。母を車に乗せて法要が営まれ、約1時間で終了。その後の会食場は大磯プリンスということを聞いて、また随分遠くの会場だなあと思ったが、車を走らせ会食場に向かった。中華を御馳走になり、少々ワインを所望したので、帰りは母に運転してもらって自宅についた。会食中に知人より忘年会のお誘いをいただいたが、行き違いで行く必要がなくなったのだが、日中にお酒をいただいたせいか、眠くなり夜まで寝入ってしまった。


平成22年11月20日(土)
本日より二日間、小田原城跡銅門広場で小田原ツーデーマーチが、そして二の丸広場では農業まつりが開催されている。午前中にその様子を見に会場に向かった。今後整備される御用米曲輪の駐車場にバイクを止めて歩き出すと、多くのツーデーマーチ参加者が溢れている。丁度10キロコースがスタートしたばかりのようだ。農業まつりのブースを一回りして会場を後にした。
夜には友人たちとの懇親会に参加した。この1年、ご無沙汰していた連中であるが、明日は法事があるので少々セーブして飲むつもりもりだったが、結局は深酒してしまった。


平成22年11月19日(金)
所用の為に市役所にて用を足す。午後は地元に戻ってパトロール当番。その後、事務所にて先日のコミュニティバスの件について、前、現連合自治会長と懇談会を行った。当地域の現状及び将来について、それぞれ議論することが出来、有意義な会合となった。自分自身も決してスタンドプレーをするつもりはない。地域の実態として今後の高齢社会を見据えた時に、身近な交通手段が求められるに違いないとの思いで提案している事である。地域住民の総意として議論が発展されるよう、今後も調査研究をしていこうと思う。


平成22年11月18日(木)
今日は夜に育成会の定例会が開かれるのだが、会合があり出席できない。レジュメの作成、印刷を行い、副会長に資料を届けた。午後には来客等もあり、時間が取れたら出席する予定であった会合はキャンセルした。
夜には会合に出席した。


平成22年11月17日(水)
市役所に用事があり、午前中はその用事を済ませる。午後は市政研究会が開催され、カネボウ小田原工場を視察した。本工場に行くのは1期生の時以来、実に10数年ぶりである。元々はガムでお馴染みのハリスが前身だった事を知る。各化粧品の生産を手掛ける企業であるが、日本国内で唯一の工場だと聞いて驚く。約2時間の視察をして議会に戻った。


平成22年11月16日(火)
夜に行うコミュニティバス勉強会の資料作りを行った。インターネットでの検索機能はこのような調べものの時には大いに役に立つ。各自治体で運行されている実態や写真も取り込んで資料が出来た。10ページにわたる冊子を取り敢えず30分程作っていざ勉強会へ。
新聞折り込みだけの広報なので、一体どのくらいの人数が集まるのかわからない。結局8名ほどであったが、出席者から色々とご意見をいただいた。近い将来にコミュニティバスは絶対必要だとの力強い意見もあり、今後もこの勉強会を開いていくことが了承された。今回の資料を基に、地域の動向を図ることも必要であり、自治会を挙げての取り組みにしていきたいと思う。


平成22年11月15日(月)
午前中は代表者会議が開かれた。前回と同様、外部調査会の詳細についての説明や議員年金問題の動き等について議論した。
午後は総務常任委員会。所管事務調査として、地域コミュニティ検討会報告書、(仮称)小田原市男女共同参画プラン(案)に対する市民意見募集について、おだわら地域力市民力表彰の3件の報告を行った。特に、地域コミュニティ検討会より報告された地域運営協議会の項では、既存自治会との整合や地域運営協議会の必要性等について各委員より質疑が矢継ぎ早に出された。当組織の設置は、総合計画審議会においても議論が出され、議会としても慎重な取り扱いを要すると思っている。今後自治会への説明もされるらしいが、果たして十分理解されるのかも疑問である。既存団体の機能強化を図らずに、当組織の立ち上げは住民への深い理解協力無くして安易な導入は地域の混乱を引き起こす可能性があると指摘せざるを得ない。


平成22年11月14日(日)
午前中は午後の会議に必要な資料作成。午後は現在の市政について事務所にて情報交換を行った。来年は選挙の年であるので、現状について個々の情報交換。更に懸案となっている市の事業や今後の情勢について等、幅広い課題についての議論を夕方まで行った。

今日で横浜を会場として開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)が終了した。週末には国内外より多くの来訪者がある横浜が会場となったことで、警察の厳重な警備も大変だったろうと同情すらする。内容の評価については明日以降、マスコミや評論家に任せるが、尖閣問題、北方領土へのロシア大統領上陸問題等、APEC成功優先という足元を見られた日本政府の対応には本当に辟易する。


平成22年11月13日(土)
恒例の合同七五三が地元の白髭神社境内で行われた。毎年少子化の影響からか子供の人数は減っているが、今年は5歳児が3名、3歳児、7歳児も10名程しかおらず、本当に少ない人数になってしまったとあらためて感じた。
いつもは、代表しての玉串奉奠に、参加者も揃って二礼二拍手一礼をするのに、これだけ人数が少ないにもかかわらずバラバラである。お参りの仕方を殆どの子供が判らないのは当たり前なので、これは進行が言ってやらねばならないのである。子供達も何が何だかわからないうちに式が終わってしまったようである。


平成22年11月12日(金)
この時期には必ず友人に写真のお願いをしている。朝のうちに出かけようとしたのだが、出掛けに来客があり、約束の時間に40分ほど遅れてしまった。道路も混雑しており、その分、時間の憶測を誤った。
無事、撮影も終わり、事務所に戻って今夕の育成会役員会のレジュメ作業に入った。
夜は役員会。大きな行事が終了したこともあり、残るは研修会である。今度の定例会には用事があって出席できないので、オリエンテーリング研修を提案した。
中学生の頃、愛川町での林間学校で数班のグループに分かれてオリエンテーリングを経験した覚えがある。地図を手にして、プラスティックのコンパスで距離や方角を測り、いくつかのポイントを経てゴールするというゲームだが、とても面白かったと記憶している。我が地元には山あり、他にあり、川ありと、自然の中での競技には最適だと思う。ただ、その方法を忘れてしまっていることから、研修会で育成会会員が学び、来年の事業として子供達と一緒に行えるよう企画をしたいものだ。


平成22年11月11日(木)
会派打ち合わせの後に建設経済常任委員会を傍聴した。公設卸売市場を巡る陳情は、当事者双方より陳情が出され継続になった。また、所管事務調査で先に開催した丼サミットでは、予想をはるかに上回る来場者は喜ばしいのだが、来場者から「盛りつけの写真と違う」とのクレームもあったと聞く。おそらく食材が足りなくなったために写真よりも少ない盛り付けで数を多くするようにしたのだろうが、「そのような声があったので写真を取り換えたようだ」との答弁。これじゃあ、リピーターは期待出来ないなあ。
人は食に集まる。北條五大祭りも「撒き餌」じゃないが、タダで来場者に小田原の食材を使った料理(一口でも)を配って、興味を湧かせて来年は店に来てもらうような事をしていかないと、足を運んでくれないんじゃないの?
夜は懇談会に出席した。


平成22年11月10日(水)
代表者会議に出席した。はじめに市立病院宿日直手当の誤支給等の問題に対し、あらためて議会より行政へ厳密な調査の申し出を行ったことから市長より再度外部調査を行うとの発言があった。また、相澤議員の追悼式を12月定例会初日に行うことになり、会派代表として自分が追悼演説を行うことに決まった。
今日は午後から青パトの申請の為に湘南車検場に行くことになっている。警察本部の証明書発行から15日以内に車検証の変更を行わなければならないため、車検場に向かうのだが、その前に書類を知人宅に届ける必要があったことから、急いで寄って平塚に向かった。
何度も申請手続きを行っており、必要なOCR用紙を購入し、記入して受付に渡す。数分で変更した車検証を受け取る。本日は普通車1台、軽自動車1台の為、隣の軽自動車協会で同様の手続きを行う。
同じような手続きを別棟で行っているが、そういえば、事業仕分けで統廃合との結果がでたと記憶する。実際、今回のような申請作業としては、統合しても問題はないと思う。


平成22年11月9日(火)
午前中は議員ボランティアとして海岸清掃。非常に風が強く、海岸線のごみを拾っていると、西からカップ麺の容器やペットボトルなどが吹っ飛んできた。拾おうとしてもあっという間に東の彼方に消えていき拾えない。それほど強い風だった。持っている袋も風でごみを入れることすら容易でない。いつもより早く作業は終了した。
午後からは総務常任委員会正副打ち合わせ。その後陳情1件に対応した。
事務所に戻る途中に相談処理1件を行い、事務所に戻る。青パト申請のため、車検証を対象者2名が届けに来た。他に来客1件。


平成22年11月8日(月)
昨日に引き続いて、今日は議会基本条例検討委員会を開催した。昨日の反省点を各委員から聴取。周知方法や内容など各委員より今後の参考となる意見を聞く。今後の進め方についてはフリートーク。昨日の報告会で出された意見、参加者アンケート意見を踏まえ、次の委員会に向けての内容を話し合った。
午後からは、新聞販売店に市政報告を持ちこむ約束となっていることから、各店に依頼した。


平成22年11月7日(日)
朝8時50分に「けやき」に集合し、10時より議会としては初めての取り組みである「市議会に関するアンケート結果」報告会を開催した。小田原市議会議会基本条例検討委員会のメンバー総出で会場を設営し、いざ報告会に臨んだ。挨拶をした議長はこのような経験が豊富なのでよいが、こちらは初めての事である。支持者を前に話をする事はあっても、一般の方々と質疑応答の機会を持つ事は殆どないのである。
ただ、委員会設置から今日まで委員会で議論してきた事、視察の模様、今回のアンケート作業も全員で手作りで行ってきたことから、その件に関する質問なら十分にお答えできる。
議長挨拶の後に、今回のアンケート結果報告を予定通り20分間行った。質疑に入り、いくつかの質問をいただいた。開催日が様々な行事に重なってしまっている事もあり、参加者30人。この数字が多いか少ないか、これからの活動の参考にはなる。参加者よりいただいたアンケートでも、このような機会をこれからも行ってほしいとの意見もあり、今後の課題でもある。
約1時間半で報告会は終了。皆さんお疲れさまでした。

夜は会合に出席した。


平成22年11月6日(土)
明日開催される「市議会に関するアンケート結果」報告会の資料作りを朝から行った。パワーポイントで映写する資料を参考に、各会派より持ち寄られたアンケートで読みとれるポイント、課題、その解決策はどのようなものが提案されたかをまとめて報告する必要がある。時間は約20分。この作業を一日で行わなければならない。朝から頭はフル回転である。
昼過ぎに、気分転換にとバイクに乗って市内の知人宅を訪ねた。戻ってからも、その作業は夜まで続き、10時過ぎに終了した。


平成22年11月5日(金)
朝4時過ぎに目が覚めた。何の気なしにPCのスイッチを入れると、Yahoo!ニュースに尖閣の中国漁船衝突事故ビデオ流出の見出しがあり、早速youtubeにアクセスして、その映像を見た。
紛れもなく中国漁船が海保の船に体当たりしている状況の決定的な映像だ。どこから流出したのかはわからないが、この映像が事実なら、政府が何故非公開としたのか疑われよう。
朝のニュースやバラエティー番組も「映像流出」で盛り上がっている!?状況である。

朝9時より相澤議員告別式の手伝いを行う。葬儀開式の直前に市及び議会からの弔慰金贈呈式に立ち会った。議長が弔辞を読み始めた途端に声を詰まらしている。気持ちは同じだ。涙が止めども無く溢れてくる。
思えば相澤さんも今村議長も私も平成7年に市議会選挙に当選以来、15年間一緒に居た同志でもあり、ライバルでもあった。特に相澤さんは河野代議士の秘書、自分は亀井代議士の秘書上がりという同じ自民党でもライバルとして何度かの選挙を敵として戦ってきたのである。ただ、自分の父も元は河野一郎氏の子分の宮仕えの身でもあったことから、元は河野派である。さすがに相澤さんは昔の事も良く知っていて、父から聞いた人物も「ああ、あの人は・・・だよ」と教えてもらったこともある。
少し前には、陸軍中佐だったお兄さんを駅に迎えに行った時に、駅長室で緊張して待っていた思い出なども話してくれ、もっと色々と話したかった、市政、県政、国政に至るまで幅広い知識、見識を披露してもらいたかったと、本当に悔やまれる死である。どうぞ、安らかに眠って下さい。あれだけ飲んでいたビールを断って10年余りですね。天国で腹いっぱい飲んで下さい。ご冥福をお祈りします。

夜は地域パトロールに参加した。


平成22年11月4日(木)
パトロールを終え、朝一番で議会基本条例検討委員会の打ち合わせ。その後、厚生文教常任委員会を傍聴。史跡小田原城跡本丸・二の丸植栽管理計画の白紙を求める陳情の審査では、大勢の傍聴者が来られたことから委員会室ではなく全員協議会室での開催となった。先のテレビで放映された内容には明らかに間違いがある点を行政側から報告があり、更には300本近くの伐採との認識は間違いで、260本ほどの木々を対象に、伐採または枝下ろしなど、現地調査をしながら対応する事が示され、結果的には継続審査となった。
委員会終了後、直ちに議会基本条例検討委員会を開催し、7日のアンケート結果報告会の流れについて説明し、委員会でその方向が決まった。
午後には船津元議長逝去の報が入った。本日は相澤議員の通夜であり、午前中には下川元議長の葬儀もあり、この数日で、議会関係者の訃報が連続して飛び込んできたことに驚く。
夕方は、通夜の手伝いで弔問客を迎えた。1時間程度外で対応したのだが、体は冷え切り、いつの間にか季節は冬である。明日はいよいよ相澤さんと最後の別れとなる。寂しい気持ちでいっぱいだ。


平成22年11月3日(
7時45分に橘中学校集合。本日は毎年恒例の橘ファミリーフェスティバルに参加した。このところ2年ほど他の用事の為に参加していなかったので、久しぶりである。先日の小学校バザーと同様、昔の遊びとして大山ごまの担当である。
9時のセレモニーで簡単に挨拶をする機会をいただき、その後はこまのコーナーで子供達にコマの回し方を教えたりして過ごす。先日は2時間弱だったが、今回は6時間ほどこまを回し続け、腰が痛くなった。右指のマメもつぶれて皮膚が硬くなっている。疲れ切った体で「ちゃわんずカップ」に出場。強敵揃いであえなく予選落ち。時計も3時を回り片づけをはじめ、イベントは終了した。
アポイントが1件あったので、事務所で対応。その後1件の来客に対応した。


平成22年11月2日(火)
午前中は来客1件。午後も3時にアポイントあり。市政報告紙も若干の手直しが必要となり、その作業に追われた。夜には総合計画審議会の有志による打ち上げ。お互い委員会審査では顔なじみとなったが、それ以外に話をした事も無かったので良い機会となった。久しぶりに二宮駅からバスで帰宅した。


平成22年11月1日(月)
6時半過ぎに事務局から相澤議員逝去の報が入った。予てより小田原市立病院に入院されていて、その容体が気になっていたのだがとうとう亡くなってしまった。東京からの転院以降も面会の機会を得られず、先週出した手紙を娘さんが相澤さんに読んであげたとご連絡をいただいた直後だっただけに、複雑な心境だ。数多く行ったわけではないが、懇意にされていた蕎麦屋で会派の打ち合わせをした日々や同期の会でお互いの質問内容について議論したこと等、思い出はいっぱいある。亡くなった事はまだ信じられない。
午前中は議会に行ったのだが、まだ詳細な日程が決まっていないため、わかり次第連絡をもらうよう依頼し一旦自宅に戻った。
午後は、父が入院して2週間ほどが経過したため、その後の治療状況等を伺いに湯河原の病院を訪ね、先生より説明を聞いた。
夕方、会派のメンバーとともに、相澤さん宅を弔問した。ご家族からは相澤さんが「議会に行きたがっていた」と何度も言われ、きっと無念だったろうと胸が痛んだ。やつれてもおらず、赤みもある表情はとても穏やかで、静かに眠っているようだ。どうぞゆっくり休んで下さいと何度もつぶやき手を合わせた。
まだまだ現役で活躍してほしかった。もう一度一緒に蕎麦を食べたかったなあ。